光のきざはし - 終章 XREA.COM

 あれからすぐにアルヴィナは謝罪を表明し、世界中に精霊の存在を明らかにした。
神の存在については完全に否定することはしていない。突然そんな事を言っても受
け入れてもらえるか解らなかったし、なにより「神が『いる』事で統制が取れ、人
の命を救うこともできるのなら、むやみに否定することもない」とリジェが言った
からだ。お互いに信じるものを認め合えるならそれで十分に思う。
 故に多少の混乱は呼びつつも、神殿を取り壊すこともしていないし、多くの民に
とって神は至高の存在だった。ただ、精霊というものが存在するのだと心の片隅に
留めておくようになった。それだけだ。
 そして、早くも一ヵ月が過ぎた。空は青く澄み渡り、太陽は優しく大地を照らし
ている。旅立ちには絶好の日和だった。
「これからどうなさいますの?」
 アネサルスの街外れ。旅支度を調えた三人に向かってアルヴィナが尋ねた。その
後ろには彼女の母親が赤ん坊を抱いて立っている。赤ん坊はもちろんカルマンであ
る。彼女はアルヴィナが最初にすべてを打ち明けた相手であり、カルマンを育てる
ことも自ら引き受けてくれた人だ。
「僕達はとりあえず家に帰るよ。皆に事の成り行きを報告しなくちゃ」
 リジェがアルヴィナに答えた。じきに結界もなくなり、西の果ては砂漠ではなく
なるだろう。少しずつだろうが、これからは他の土地との交流も始まるはずだ。長
い間の念願がようやく叶ったことを早く皆に教えたかった。
 それを聞いてラサがうなった。
「そっか、そうよね……」
 ついていきたい。リジェについていくと決めたはずだ。しかし、ラサの中にもう
一つの衝動が沸き上がっていた。それは旅の楽しさ、見知らぬ土地への憧れ。歌と
踊りを友にして、どこまでも歩き続けてみたかった。
「ラサ?」
 訝しげにリジェが声をかけた。きょとんとして隣にいる少女を見つめる。ラサは
思い切って口を開いた。
「ねぇリジェ。私、もっと旅したいの」
「え?」
「もっとたくさんの人と知り合いたい。いろんな場所を見てみたい。だから……」
 腕を後ろで組んでひょいっと前屈みになり、ラサはリジェの顔を覗き込んだ。強
気な笑みを浮かべる。
「私の我が儘に付き合ってくれない?」
 にっこり。ついていっても旅ができないのなら、連れていってしまえばいいのだ。
勝手な言い分にヤージュが呆れ返る。
「おまえなぁ……」
 しかし。
「……いいよ」
 あっさり。確かラサが一緒に旅をさせてくれと言ってきたときもこんなノリだっ
た気がする。決断が早いのかあまり考えていないのか。こういう事に関して執着が
ないのかもしれない。
「……おい……」
「いいの? 本当に!?」
 あまりの返事の早さに、言い出したラサまで尋ね返す始末だ。リジェは落ち着い
て微笑む。
「ひとまず家には帰るけどね。皆が精霊を本当に信じてるかって言うと疑問だし、
精霊の力を知ってもらうために何かしないといけないって思ってたんだ。旅に出る
のはいいと思うよ」
「なるほど、ねえ……」
 一理ある。ヤージュがうなずいた。しかしそうするとオレも行くべきなのか? 
面倒臭そうな話にげんなりする。平穏にのんびり過ごすためにこれまで頑張ってき
たのに。ちぇー。
「なにふてくされてるのさ」
「なんでもねーよ」
 そう? とリジェは首をかしげるが、深く追及するほどのこともないので正面に
向き直った。いつまでもこうしているわけにはいかない。
「それじゃあ僕達、そろそろ行くね」
「はい。お気を付けて」
 アルヴィナがふんわりと微笑んだ。そこへラサがずいっと顔を寄せる。
「ねぇ、本当に行かないの?」
「え、ええ。お兄様が罪を背負うというのなら、私だって同じですわ。やるべきこ
とがあると思いますの」
 なかなか『お兄様』が抜けないアルヴィナであった。生まれてこのかたずっとそ
う呼んでいたんだから仕方ないと言えばそうなのだが。
「ですからしばらく、私は何をすべきなのか考えてみるつもりですわ」
 すでに最高司祭としての位は捨てている。事実を知った後では神職などおこがま
しくてできるはずもなかった。しかしそれまでの責任上、様々な仕事はいまだにつ
いて回っている。それを片付けながらこれからのことを考えていかねばならなかっ
た。
「そぅおぉ〜?」
 ラサは不満そうに口をとがらせ、軽く睨み付けてやる。だがアルヴィナは微笑み
を崩さない。ラサは大袈裟にため息をついた。
「ざーんねん。それじゃきっと近いうちに遊びにくるからね! 行こ、リジェ!」
 勢い良く半回転するとラサはずんずん歩き出した。
「え、ちょっと待ってよ! あ、それじゃアルヴィナ、また会おうね」
「はい、皆さんもお元気で」
 慌ててラサを追いかけるリジェ。それに続いてヤージュも歩き出す、が。
 くるぅり。
 二、三歩進んだところで首を後ろに曲げる。急いで笑顔を取り繕うが間に合わな
い。ヤージュの目はしっかりと捕らえていた。寂しげなアルヴィナの顔を。
(おーお、予想通りの反応)
 まったくもって世話のやけることだ。ヤージュは振り返りざま手を伸ばした。
「来いよ」
「……ですが……」
「何をするかっていうんなら、精霊の存在を広めるに決まってるだろ。だったらオ
レ達と一緒のはずだぜ」
 リジェとラサが「おやぁ?」という表情で立ち止まった。何かをとっても期待し
ているラサの瞳。一呼吸遅れてラサの期待するものを理解して、リジェが軽く手を
打った。で、何故忍び足で戻ってきているのかな、そこの二人は? しかし当たり
前だがヤージュは背中を向けているから気付かない。なぜかアルヴィナも気付かな
い。そして後ろに立っているアルヴィナの母親の瞳にもラサと同じ輝きが宿ってい
たりする。実は似たもの同士かも知れない。
「来いよ、アルヴィナ」
「えっ!?」
 再度かけられた声に、アルヴィナはいよいよ動揺した。
「? どーかしたか?」
「いえ、あの……ヤージュに名前を呼んでいただいたのは初めてだったものですか
ら」
「そうだったか? ま、んなことはいいんだよ。来いってば。来たいんだろ?」
「でも……」
 ちらりと後ろを見る。と、彼女の母親はむしろ楽しそうに微笑んだ。
「行きなさいな。この子はちゃんと面倒見るから。残ってる仕事なんてどうせ雑用
ばかりじゃない。貴女でなくちゃいけない仕事ではないわ。好きなように生きなさ
い」
「……はい。ありがとうございます」
「たまには顔見せにくるのよ」
 パッと明るくなった娘の顔に満足する。さらに準備のいいことに彼女は旅行用に
まとめた荷物を手渡した。
「まあ」
「子供ってのは旅に出たがるものなのよ」
「本当に、ありがとうございます!」
 荷物を受け取り、深々とお辞儀をすると、アルヴィナは元気に振り返った。差し
出された手にそっと自分の手を重ねる。と。
「うわっ、おまえらいつの間に!?」
 ひょっこりと野次馬二人が顔を出した。
「やーね、ずっといたわよ」
「そうだね」
 クスクスと笑う。「なんだよ」とか言いつつもヤージュの顔は微かに赤い。
「なんでもなーい。アルヴィナ、またよろしくね!」
「はい」
「あ、でもひょっとしてヤージュと二人だけの方がよかった?」
「え? それなら僕達は邪魔しないけど」
「……はい?」
「……おまえら……!」
 含み笑いを浮かべるラサに、半分くらい本気でリジェが相槌を打つ。目を丸くす
るアルヴィナの隣でヤージュが頭から蒸気を出した。ぐっと腕をリジェの首に巻き
付ける。
「そーゆーことを言えるようになったか、この口は〜!」
 しっかりと握りしめられた拳がリジェの頭に押し付けられる。ぐりぐりぐりぐり。
「ちょっ……ヤージュ、痛いってば……! あたたたた」
「まだまだっ」
 ぐりぐり。
「楽しそうねっ」
「そうですわねぇ」
 ほのぼのとそれを見守る女性陣。その会話を聞き咎めてヤージュが睨み付ける。
「おい、ラサ。てめーもだろうが!」
「えー、だって私はリジェと二人でも構わないわよ」
「……え?」
 一瞬、奇妙な沈黙が流れる。
「ま、四人のほうが楽しくていいけどね」
 キャラキャラと笑いを残し、ラサは軽やかな足取りで先に進み出した。言ったも
ん勝ち、逃げるが勝ち。あっけにとられているうちに逃げられてしまったので誰も
ラサにはつっこめなかった。そうすると必然的にからかう対象はリジェになるわけ
だが……。
「あらまあ」
 アルヴィナがすっとんきょうな声を上げた。ヤージュは腕の中の友人を見て、思
わず可哀相になった。からかう気も失せる。仕方ないので代わりに言う。
「おい、アルヴィナ」
「何ですか?」
「パラーシュの葉っぱってみたことあるか?」
「実物はまだありませんけど……」
「ふーん。ちょうどこんな色だぜ」
 パラーシュは別名『炎の木』。その葉が何色であるかは……推して知るべし。
「ねぇーっ! 早く行きましょうよー!」
 遥か前方からラサの声がした。肩をすくめてヤージュが同意する。
「そうだな。……こらリジェ、いい加減に戻れ!」
 ぺしっ。
「……なにもぶつことないのに」
「ぼーっとしてる方が悪い。行くぞ!」
「解ったよぉ」
「フフ……。本当に仲がよろしいんですのね」
「ほら、早く早くー!」
 四人は一本の道を行く。明るい陽射しと優しい風の中、その姿はだんだん、だん
だん小さくなっていった……。

−完−