光のきざはし - 9章 XREA.COM

「ちょっと待てぇ! 聞いてないぞ、そんな話」
「そうだね。僕もさっき聞いたところだから」
穏やかな日差しに照らされた、楽しい楽しい朝食の時間。洞窟の出口で、カップ
片手にヤージュが叫んでいた。背中の三つ編みがぴょんと跳ねる。朝から元気なこ
とだ。まあ落ち着いて、とリジェが無発酵パン(チャパティ)を差し出す。
「なんか一夜明けたらそういうことになってたらしいよ」
「なってたらしいよ、ってなぁ……。おまえそれがどういう事か解って言ってる
か?」
「解ってるつもりだけど」
リジェは答えながら、自分もチャパティを取って、そこに野菜の香辛料炒めを挟
んでいた。呑気なものである。
「別にそんなに悪い考えじゃないと思うよ」
「こいつと一緒に行くのが!? どうして!」
こいつ、と言いながらラサの隣に座っていた銀髪の少女を指差す。お上品にカッ
プに口をあてていたアルヴィナはビクッと肩を震わせた。上目遣いでヤージュを見
る。
「だって彼女がいつまでもここにいるのだってヤージュは気にくわないんでしょ?
でもただ出ていけって言ったって、アル……アーヴィが納得するわけないんだよ。
だったら僕達と一緒に旅したっていいと思わない? 話し合う、いい機会だと思う
よ」
「いいじゃない、ヤージュ。別にやましいことはないんだから。それとも、何か困
ることあった?」
もう一押しだ、と思ってラサが口を挟んだ。それを横目で睨みつけ、ヤージュは
いらいらしながらも押し黙る。どうにも以前と同じ展開になってきた。つまり、ラ
サを仲間にするときと。
 再びラサを一瞥し、さらに隣のリジェに視線を止める。
(ほんっとに、おとなしそうに見えて頑固だからなぁ……)
ヤージュが「うん」と言うまで出発できないかもしれない。いや、きっとそうに
違いない。なんだ結局そうなるのか。ヤージュは深くため息をついた。なんだかん
だで結局自分もお人好しなのかもしれない。だとしたらこれは確実に幼なじみの影
響だ。
と、どこから現れたのか、茶色い髪の少女が突然ヤージュにひしとしがみついた。
「お兄ちゃんを困らせないでください!」
ぷんぷん。妙に可愛い怒り方でラニアがラサとアルヴィナを睨んでいる。返事に
困って二人は顔を見合わせた。
「…………」
そこへもう一度ため息をつきながら、ヤージュが妹の頭をポンポンと軽く叩いた。
「そーだな、オレの味方してくれるのはラニアだけだよ。うんうん」
かまってもらえて嬉しそうにラニアが表情を緩める。
「だけど、もういいんだ。どうせ今更何言っても無駄だからな」
ぱっとリジェの顔が明るくなった。アルヴィナもほっとしたように肩の力を抜く。
「じゃあいいんだね、ヤージュ」
「しょーがねぇから我慢してやる」
そう言い捨ててヤージュは立ち上がった。ラニアはまだしがみついているのです
ごく歩きにくそうだ。
「どこ行くの?」
「腹立ったら甘いもんが欲しくなった」
「あ、そう」
だったらお得意のおいしいチャイでも期待して待ってますか。チャパティ片手に
リジェは洞窟の中へ消えたヤージュを見送った。その背中に声がかけられる。
「それにしても、本当に今日出発するの?」
それまでことの成り行きをおもしろがって見ていたアルナだった。
「はい、のんびりしてもいられないし」
「せっかちねぇ」
「でも、ちゃんと皆に会えたし、エスターとも今朝お別れしてきたし」
「あ、それで朝起きた時いなかったんだ」
ラサが思い出したように言った。「まあね」とリジェがうなずく。
「今度帰ってくるときはきっと全部終わった後だから、その時はゆっくりしますよ」
「そう、まぁ仕方ないわね。私には何も出来ないのが情けないけど、応援してるか
ら頑張ってくるのよ」
相手が何だろうと、負けたりしたら許さないぞ。泣き言なんて聞かないんだから。
何も出来ないなんて嘘だ。勝ち気そうな笑顔が何よりの励ましだった。自然と顔が
ほころぶ。
「はい。行ってきます」

洞窟を後にしてしばらくたつと、かの土地を切り離す結界たる砂漠に辿り着いた。
あいかわらず風巻き、砂が舞い上がっている。砂の上に一歩を踏み出してから、ア
ルヴィナが呟いた。
「……風が弱くなってる?」
初めてこの砂漠に足を踏み入れたときは、あまりの強風に歩くこともできなかっ
たというのに。訝しげなアルヴィナに、リジェが一言だけ答えた。
「僕達と一緒だからですよ」
「え?」
「そう言えばアーヴィ、それとももうアルヴィナ様の方がいいですか? 貴女はど
うやってこの砂漠を越えてきたんですか?」
リジェはあえてアルヴィナの呟きを無視した。いきなり精霊やこの砂漠について
話しても、まだ信じてもらえないだろうから、今はあえて話をすり替えたのだ。
「他に人がいないときであれば本名で構いませんわ。お好きにお呼びください」
「ちょーっと待ったぁ!」
ラサが叫びながら二人の間に割って入った。キッとリジェを見て注意する。
「いい? アルヴィナとは友達になるんだから『様』は駄目よ、『様』は! 敬語
もなし! ……と言いたいとこだけど、リジェには無理っぽいなぁ。でもとにかく
なし! アルヴィナもそれでいいわね!」
「は、あ……」
「解りました……」
勢いに負けて、二人は同時にうなずいた。それに満足してラサは元の位置に戻る。
ちなみにラサは『アルヴィナ』と呼ぶことにしたらしい。「だってせっかくの綺麗
な名前なんだから、呼んであげなきゃもったいないじゃない」とは後に本人が語っ
たことである。
「あ、そうそう。それでさっきの話だけど、どうやって砂漠を抜けたんですか?」
危うく何の話か忘れるところだった。我に返ったリジェがもう一度質問した。
「神の御加護ですわ」
リジェに劣らず簡潔にアルヴィナが答えた。もっともこの場合はそれだけで話が
通じるからなのだが。いわゆる『神の奇跡』ってやつで風を防いだのだろう。さす
が最高司祭、とうなずいておく。
「…………」
「…………」
話が続かなくなってしまった。
「ああん、もうっ! 駄目よ、もっと会話をしなくちゃ!」
こういう場面で沈黙を破ったのはやはりラサだった。いつもながら静けさとは縁
遠い人間だ。だから踊り子のくせに歌まで歌うんだな。ってそれはちょっと違うか。
「ほら、アルヴィナ! 何か聞きたいこととかないの?」
「え、あ、その……そうですわねぇ……。ひとつ、気になることが……」
「よし。じゃあそういう疑問はちゃんと聞く!」
さっきから妙に力の入った言い方をしている。今のラサの心境は、さしずめ『講
座・友達をつくるための一般女子の在り方について』講師というところだろうか。
またアルヴィナが素直に従うからおもしろい。ラサの勢いに押されてるだけという
節もあるが。
「……あの、初めてお会いしたとき、どうして私だと解ったのか教えていただきた
いのですけれど。そんなにすぐ私だと解るようなところがありましたかしら?」
アルヴィナの質問にラサがポンと手を叩く。
「そうね、それは私も聞いてみたいわ。というわけで、どうして? リジェ」
女の子二人の視線がリジェに集中する。さらに口には出さないものの、ヤージュ
も興味あるらしく目をこちらに向けてくる。三人に見つめられて、リジェは意味も
なく、責めらせているような気分になった。なぜか視線を泳がせる。
「いや、えーと…………なんとなく、そうじゃないかなぁって」
「…………『なんとなく』……ですか?」
「はぁ」
予想外のいい加減な答えにアルヴィナは声を失った。ラサも拍子抜けした顔をし
ている。ただ一人、ヤージュだけは「まぁリジェだからなー」と謎の理由で納得し
ていた。
リジェ自身も、今の答えが的を得ていないことは自覚していたので、申し訳なさ
そうに頭をかく。これでは説明不足どころか説明にすらなっていない。たとえうま
く言えなくても、もう少し言葉を補わなくてはなるまい。
「そうですね……判断材料がなくはなかったんですよ。まず聖職者なのは服装から
一目瞭然だし、髪や目の色とかもあるし」
アルヴィナの髪や瞳の色は、会ったことがなくても多くの人が知っている。王家
に新しい子が生まれれば、必ず詩人が歌にするからだ。とくにアルヴィナの容姿は
詩人に創作意欲を湧かせたらしかった。「輝く月のごとき銀の髪と澄み渡る空のご
とき瞳もつ、気高くも優しき神の愛娘よ」とは一人の詩人がアルヴィナを称えて詠
んだ言葉である。
しかし、銀の髪と空色の瞳の少女が世界に一人だけというわけではない。
「それだけで断定するのは無理がありませんこと?」
「けどそれに加えて治癒の力を使える事を考えれば、だいぶ限られてくるんじゃね
ぇか?」
ヤージュが思い付いた事を口にした。あの時は焦っていて気付かなかったが、今
考えてみると十分予想できた事のように思える。
「そうですわね……」
ヤージュに言われてアルヴィナもうなずく。確かに全ての条件が当てはまるとな
ると人数は限定される。カマをかけてみて当たる可能性は低くない。
「それだけじゃありません」
アルヴィナが納得しかけたところへ、リジェがゆっくりと話しだした。
「『神の奇跡』を行うときって普通は念じるだけでいいって聞いたんですけど」
「確かに、心の中で祈ればそれで効力を発揮しますわ」
「でも貴女はわざわざ複雑な手法をとった」
「……あの方の火傷が予想以上にひどかったので」
ひとつひとつ確認していくようなリジェの話に、胸がざわつくのを感じながらア
ルヴィナは答えた。
 リジェはその答えに満足したように小さく笑みを浮かべる。
「つまり貴女は、あの手順を踏むことで治癒の力を増幅させた、という事になりま
すよね。それで思ったんです。あの時描いた光の模様、それに今も身につけていら
っしゃる布にある縁取り……」
ラサがどれどれとアルヴィナの服を覗きこんだ。確かに金糸で縫い取りがされて
いる。
「それ、白呪文字(サルナヴァーク)じゃないですか?」
アルヴィナの顔が硬直した。それに気付かずラサが顔を上げる。
「なぁに? サルナヴァークって」
「物知らず」
「悪かったわね」
あんたになんか聞いてないもん。ラサはぷいとヤージュから顔をそむけた。
「で、何なの? リジェ」
「うん。白呪文字っていうのは大昔に、神への信仰が広まった頃かな、世界はまだ
不安定な部分が残っていて人間に害をなす存在があったりしたよね、そういった存
在から身を守るためにできた文字なんだって」
リジェが大雑把に説明すると、アルヴィナがこわばった声で付け足した。
「即ち邪悪な存在から身を守るため、祈りの力を増幅し、神の御加護を受けやすく
する呪いを書くための文字なのです。しかし、世界が安定して平和が訪れてから白
呪の使用は激減、白呪文字を用いた道具はほとんどが散逸いたしましたわ。白呪に
ついての文献はアネサルス宮殿の書庫にも数冊あるのみ。他に現存するものは確認
されておりません」
そこまで言ってから、アルヴィナは一息つき、正面からリジェを見つめた。その
瞳には明らかに動揺が走っている。
「おっしゃるとおり、これは白呪文字です。確かに白呪文字によって守りを施した
ものを身につけ、白呪を操っていると解れば私の事もお解りになるでしょう。白呪
の使い手は恐らく私で最後だと言われていますし。でも、それなら……貴方は何者
なのです? 白呪について知っているというだけなら博識でもすみますけど、こん
な、飾り文字にして模様にしか見えないはずのものまで判別するだなんて。サルナ
ヴァークが読める人は世界中に私を含めて数えるほどしかいませんのよ!?」
大体白呪の存在を知っている人間すら少ないというのに。白呪の研究者は全てア
ネサルスにいる。資料がそこにしかないのだから当然だ。けれども宮殿には誰でも
入れるというわけではない。リジェは宮殿の書庫に入れない。にもかかわらず、彼
はサルナヴァークを文字と理解した。ありえない事実を目の当たりにして、アルヴ
ィナは驚愕を隠せない。いや、隠すことすら忘れているようだった。問いつめるよ
うに一歩に近付く。
その剣幕にリジェはたじろいだ。何だかとんでもない人物に思われているらしい
けど、全然そんなことないのだ。驚かれても困る。
「えっと、僕……読めるわけじゃないですよ」
「?」
「確かに少し見たことならありますけど、うちで」
「そんな! 先程申したように宮殿以外では確認されてな……あっ!?」
アルヴィナは口元に手を当てて短く呟いた。ヤージュがその様子をおかしそうに
見やる。
「そうそう、オレ達の家は地図にも載らない場所にあったんだぜ? 誰もそんなの
調査しに来るはずないんだよ。こっちから教える義理もないしな」
「でも、少し見たことがある程度では飾り文字の判別など……」
確かに不思議がられるよな、とリジェはうなった。どう言えばいいものか。
「うーん、だから結局、知識として知っていたものと合致していたからっていうの
もあるんですが、それよりもこう……『これが白呪だ』って解ったというか、感じ
たというか……」
「はあ……」
不可解だと言わんばかりの声に、リジェは小さくなる。しかしこれ以上はもう言
葉にできない。自分にだって確証があって言ったわけではないのだから、この位で
勘弁してほしい。
「だから、最初に言ったよね? 『なんとなく』だって」
最終的にはそうとしか言いようがないのだ。言い訳にしかならないが。
ふぅ、とアルヴィナは息を吐いた。論理的でもないし、説得力もない。よく解ら
ない話だ。けれども、とりあえず疑問の一つには答えてもらった。今はそれでよし
としておこう。要するに、このままでも他の人に正体がばれる心配はないだろうと
いう事だ。
「それならそれでよろしいですわ」
「あれ。今ので納得できたんだ、アルヴィナ」
もういいの? とラサが瞬きする。私はよく解らなかったんだけど。だがこれ以
上尋ねてもリジェを困らせるだけだろう。それなら仕方ないか、とラサは一人うな
ずいた。
しかしこの調子なら、砂漠を抜け、ヴァヒマ山脈に着くまで話題に困ることはな
さそうだ。退屈なんかごめんなので喜ばしいことだ。もっとも、ヤージュは騒がし
いの嫌いだとか言うんだろうけど。
(でも、誰だって楽しい方がいいじゃない?)
ねえ、とラサは誰にともなく同意を求めた。それに気付いたリジェが、傍らでき
ょとんとする。その顔がおかしくて、きゃらきゃらと笑った。
「…………何?」
「いーの、何でもないっ。ほら、早く行きましょ」
勢いよくラサは歩き出した。よく解らないまま他の三人も後に続く。
  ……そして北の果て、ヴァヒマ山脈へ。