光のきざはし - 7章 XREA.COM

 一人の少女が立っていた。白を基調とした服にブルカール(ヴェール付帽子)を
かぶっている。ヴェールのせいで顔は見えない。体をすっぽり覆うようにブルカー
ルから垂れる布は、何にも侵されない白だった。ただ、縁に金糸の縫い取りがある
だけだ。はめている長手袋も白。その小さな両手は何やら麻布を広げている。
 ふいに少女がため息をついた。
「王立世界地理研究院の地図といえども、ここから先はやはり載っていませんわね」
(だからこそ、ここまで来たのですけれどね)
 もう役に立たなくなった地図をくるくると丸めてしまいこんだ。顔を上げて、目
の前の景色に目を移す。
 荒涼とした土地だった。見渡す限りの範囲に草一本見られない。風化して脆くな
った岩と、砂ばかりが広がっていた。強い風が吹き荒れ、砂を舞い上がらせている。
砂ぼこりの為、太陽に靄がかかったようだった。空がいつもより遠く感じた。
「まさしく世界の果て、ですわね」
 少女の声はかすかに震えていた。未知の世界に対して不安が広がる。ましてや地
図の案内もない。すなわちここは、王命によって世界中の地理を調査する地理研究
院の派遣員すら足を踏み入れず、研究院もそれをよしとした場所ということ。人が
立ち入る事などありえない場所なのだ。しかし少女はここまで来た。誰も足を踏み
入れない土地だからこそ、少女の求めるものがある可能性が高かった。深呼吸して、
気持ちを奮い立たせる。
「大丈夫ですわ、太陽は見えますもの」
 太陽が見えていれば方角が解る。迷いはしないはずだ。そう、自らに言い聞かせ
て、少女は一歩踏み出した。
「きゃっ……!」
 同時に、風が強く正面から吹きつけた。思わず背けた顔に、ヴェールの隙間から
容赦なく砂が入り込んでくる。目を閉じて風が止むのを待つが、一向に風はおさま
らない。まるで少女の訪れを拒んでいるかのようだった。
 このままでは先へ進めない。少女は顔を背けたまま、細い右腕を突き出した。人
差し指が宙にすらすらと曲線を描く。その軌跡は少女の前の空間で淡い光を発した。
複雑な紋様は文字のようにも見える。
 ひとしきり描き終えると、少女は掌を光の前に広げた。
「慈悲深く、慈愛あまねき神の御名において!」
 瞬間、光がはじけて少女を覆った。金糸の縫い取りがちらちらと反射して光る。
だがその輝きはすぐに小さくなり、溶けるようにして消えた。同時に少女の周りか
ら風が遠のく。
 大きく息をして、少女はようやく顔を上げた。相変わらず風は吹き荒れているが、
少女の周りだけは見えない壁があるかのように避けていく。ほこりっぽさはさすが
に消えないが、なんとか歩くことはできる。少女は改めて深呼吸した。
「今度こそ、行きますわよ」
 そして、砂の上をまっすぐ西に向かって歩き出した。

(本当に、ここってどうなってるの?)
 話には聞いていたが、実際歩いてみるとやはり考えずにはいられなかった。今は
雨の季節。それなのにこの土地だけは晴れ渡っていた。雲さえ見えず、乾燥した空
気がこれからも雨が降りそうにないことを教えていた。聖河の恩恵もなく、世界中
が潤う季節にも雨さえ降らない。風吹き荒れる、黄色い砂と瓦礫の大地、西の果て。
人の踏み込まぬ静寂の地。
「うきゃぅ! いや〜ん、口に砂が入ったぁ」
 …………永きに渡る静寂は何だか間の抜けた声に破られた。
「あ、砂に埋もれてて解りにくいけど、石とかあるから気をつけてね」
「……もうちょっと早く言ってほしかったわ」
 なだらかな砂丘の中腹。リジェの言葉に答えつつ、ラサはしかめ面で砂を吐き出
した。口の中がざりざりして気持ち悪い。
「ごめん。大丈夫?」
 手をさしのべて、リジェが言った。前を歩いていたヤージュがそれを聞いてがく
っと肩を落とす。
「おまえが謝るなよ。こいつがトロいだけなんだから」
「トロいって何よ!」
「でもヤージュ……」
「はいはい。もういいからさっさと行こうぜ」
 二箇所から同時に上がった反論をあっさりとはねのけてヤージュは歩き出した。
確かに早く先に進まないとならないので、二人は慌てて追いかける。
 のんびりしてなどいられない。この乾燥しきった土地では水と食料の確保などと
うてい望めない。持っている分がなくならないうちに人の住む場所まで辿り着かね
ばならない。最も、西の果ての砂漠をこのまま西へ西へと進んで本当に人と会える
のか、ラサにはまだ半信半疑であった。
「まったく、こんな何もないところによく住めるわね」
「そりゃこんな土地じゃ暮らせないよ」
 ラサの半ば呆れた口調を耳にして、リジェが笑ってうなずいた。草一本生えない
土地で人間が生きていけるわけがない。
「え? でも……」
「うん。ちゃんと僕たちの故郷へ向かってるよ」
「???」
 ラサが不可解そうに眉をひそめた。それがおかしくてもう一度笑う。
「何なのよぉ」
「ごめんごめん。ねえラサ、何か気付いたことない?」
「え……?」
 何かあるのかとラサは辺りを見渡した。しかし相変わらずの強風と砂埃だ。特に
さっきからかわっていない。それともここに来たときから何か変だったろうか。
「うーん、でも風が強いのは初めから解ってたことだし……。って、あぁ、そう言
えば見た目ほど風が強くない気がする」
 もっと砂が服のあちこちに入り込んでしまうかと思っていたけど、このくらいの
風なら何処でも吹く。にしては周りでは砂が舞い上がってるけど。
「正解だよ、ラサ。僕達の周りだけ風が弱いんだ」
「はっ!? 何それ」
「僕達にはこの風は害をなさない。だってこれは僕達の住んでる所を知られないた
めの目隠しなんだもの」
 そう言ってリジェは周囲に目を移した。吹き荒ぶ風の中、確かに自分達を守って
くれる力がある。遠い昔から、本来在るべき自然界の均衡を曲げてまで、この地を
外から守ってくれている力。でも、本当は早くこんなものがなくても済むときが来
てほしい。
「僕達の先祖が精霊と交わした最後の約束。いつかまた皆が精霊と語り合うことが
できるようになるまで、この土地を隠してくれるって。この砂漠を抜ければ水もあ
るし、花だって咲いてるんだ」
「精霊と、語り合うことができるようになるまで……」
 そうして、どれだけの年月を隠れてきたのだろう。ずっとこの土地は不毛の地だ
と言われていたのに、その向こうには人が住んでいたのだ。誰にも知られる事なく、
自分達の真実を信じて。
 過去へ向かおうとしていたラサの思考は、突然のヤージュの声に引き戻された。
「おい、リジェ! あれ見えるか?」
「えっ、何?」
 リジェは振り返って、ヤージュの指差した方へ目を凝らした。砂埃のせいで視界
が悪いが、真っ正面に白い物が動いているのが見えた。それはどんどん近付いてく
る。それにあわせてリジェの顔がほころびだした。
「エスター!!」
 大きく広げたリジェの腕に飛び込んできたものを見て、ラサは目を丸くした。馬
だ。それも純白の毛並みに、金のたてがみ。太陽から舞い降りてきたかのようで、
まさに高貴という形容がよく似合う。その美しさを形容しようとすれば、それだけ
で一遍の詩ができてしまいそうだ。さらに驚いたことに……。
「つ、角〜っ!?」
 その馬の額には一本の角が生えていた。こんな生き物の話を、ラサは知っている。
幾つもの詩で聞いた。『神の馬』、或いは暗闇に光をもたらす『暁の馬』。比類な
き駿馬。伝説の生き物、のはずだった。
「エスター、エスタリーシャ! 久し振り、元気だった!?」
 呆然とするラサなど少しも視界に入っていない様子でリジェは白馬と戯れている。
そこにヤージュも加わった。
「よお、エスター。わざわざリジェのお迎えか? 相変わらず主人に似て律義な奴
だな」
「主人なんてそんな偉そうなものじゃないって」
 軽い調子だが、きっぱりと言い放った。確かにエスタリーシャと名付けたのはリ
ジェだったが、この美しい白馬を従えたつもりはない。幼い頃を共に過ごしてきた
友達だ。だからこそ、再会の喜びはいっそう大きかった。
「あら?」
 ただただ見守っていたラサが、ふいに弾かれたように声を上げた。そこでようや
くリジェがラサの存在を思い出す。
「あ、ごめんっ! なんか一人ではしゃいじゃって……、ちゃんと紹介しないとね。
僕の友達のエスタリーシャだよ」
 慌ててリジェが言うと、エスタリーシャはうなずくようにいなないた。つられて
ラサも自己紹介する。
「私はラサ=マリアスよ。よろしくね。私もエスターってよんでいいかしら?」
 一息で言い終えてから、そうじゃないと頭を振った。
「紹介してくれるのはもちろん良いんだけど、尻尾……もしかして少し焦げてな
い?」
「え……」
 リジェの表情が曇った。指摘された場所に目を走らせる。たてがみと同じ黄金色
の長い尻尾は、先の方がわずかに黒くなって縮れていた。焦げ跡はまだ新しい。
「何か……あったのか!?」
 ヤージュがエスタリーシャの顔を見た。賢いこの馬なら、何かを伝えるためにリ
ジェの下へ駆けつけることだって十分ありうる。しかし一体何が、と思ったとき、
風向きが変わった。
(煙のにおい? ……まさか!)
「エスター!!」
 叫びながら、リジェはひらりとエスタリーシャの背に飛び乗った。
「様子を見てくる! エスターにもう一回来てもらうから、悪いけど後から来て!」
「おう、気をつけろよ!」
 ヤージュの声が終わらないうちに、リジェを乗せたエスタリーシャは地面を蹴っ
た。一刻も早く辿り着きたいというリジェの気持ちに応えようと、それは矢のごと
き速さだった。駿馬という言葉では片付けられない。とても並の馬に出せる速度で
はなかった。リジェの耳に風を切り裂く音が飛び込んでくる。こんな時でなければ
風を切る爽快感を楽しめるのに、と少し残念になる。
 やがて、エスタリーシャが足を止めた。歩けば何倍の時間がかかったのだろう。
それまで緩やかな上り坂だった地面が、唐突に下りになり、眼下の景色を明らかに
した。すぐ側が砂漠とはとても思えないほどに空気が潤い、緑が溢れている。懐か
しい景色そのものだった。……ただ一点を除いて。
 燃えている。煙が美しい森を侵している。被害はまだそれ程広がっていないよう
だが、このままでは森全体に火が回るのも時間の問題だった。それに、家は無事だ
ろうか?
「エスター、急ごう」
 リジェが硬い声で促した。再び馬は白い一条の矢となる。次第に木立ちの中に入
るにも関わらず、エスタリーシャの速度は落ちなかった。勝手知ったる森の中、寸
分の狂いもなくリジェは家の近くまで辿り着いていた。煙が立ちこめて目が痛い。
火が近いようだ。
「ありがとう、エスター。ここからは歩いて行くから、ヤージュ達を連れてきてく
れるかな」
 煙の中では辛かろうと、リジェはエスタリーシャの背から降りた。エスタリーシ
ャは疲れた様子などおくびも見せない。これしきの距離、『暁の馬』にとっては朝
飯前だった。一声いななくと、くるりともと来たほうへ走っていく。それを見送っ
てからリジェは布を口に当てて煙の中を進み出した。 家のほうに行くにつれ、景
色が赤く染まっていく。もはや自分の家が燃えているのは疑いようもなかった。焦
りがリジェの心を支配する。
(皆逃げてればいいけど……)
 しかしこのまま炎に向かって突っ込んでも意味がない。もし誰か残っていたとし
ても助けようがない。とにかく水がないとどうしようもなかった。焦る気持ちを押
さえ、井戸の方へ走りだした。が、そこを曲がれば井戸に辿り着くというところで
リジェの足が止まった。
「そんな……!」
 目の前には巨大な炎の壁が広がっていた。とても突っ切れそうにない。こうなっ
たら他に水のある場所へ行くしかない。だがここから一番近い湖は炎を迂回して反
対側だし、そこまで行っても水を汲むものがなかった。せいぜい飲み水用の革袋く
らいのものだ。こんなことでは勢いづいている炎を消すことなどできそうもない。
リジェの心に暗い影がよぎった。
「なんで、こんな…………もう、どうしたらいいんだよ!」
「……リ……ジェ、君…………?」
 たまらず叫んだリジェに、応える声があった。ハッと顔を上げる。
「誰? 誰かそこにいるの!?」
「ああ、やっぱりリジェ君ね。戻ってきてたの? ここは危ないわ、早く逃げなさ
い」
「その声……アルナさん!?」
「他の人は皆井戸を降りて地下水脈から避難したわ。だからリジェ君も早く……」
「ちょっと待ってよ」
 他の人が無事だと聞いて、リジェは少し落ち着きを取り戻した。
「そこに水があるでしょ? 火を消さなきゃ。ううん、それよりアルナさんこそ早
く逃げないと」
「さっき火が飛んできてロープが焼き切れたの。もう水を汲み上げることもできな
ければ、降りることもできないわ。だから早く逃げなさい。皆はきっと南の洞窟に
いるはずだから!」
「だって、アルナさんはどうするんですか!」
「私のことはいいから! 一か八か井戸にでも飛び込んでみるわよ」
「そんな無茶な!」
「おい、どうした!?」
 聞き慣れた声にリジェが振り返ると、ヤージュとラサがエスタリーシャの背から
おりてくるところだった。駆けつけたヤージュの袖を掴んでリジェが叫ぶ。
「ヤージュ、アルナさんがまだこの中に!」
「………………!」
 顔を強張らせてヤージュが炎の壁を見た。同時に向こうから声が届く。
「ヤージュ? あんたも、いるのね……? 早く、リジェ君連れて逃げなさい!」
「馬鹿! こんな状況でこいつが逃げられるわけないだろ」
「だ、から……あんたに、言ってるんでしょうが!」
「いいから黙ってろよ!」
 消すことは無理でも、目の前の炎だけ退かせるくらいならできるかもしれない。
ヤージュは正面から炎を睨み付けた。一瞬、間を置いて舌打ちする。
「ふざけんなよ……『聖火』だと!? なんだってここにそんなものがあるんだよ!」
「『せいか』?」
 聞き慣れない言葉にラサが呟いた。
「聖なる火。神の力を加えられた火。だから……」
 普通の火事なら『聖火』が燃えているなんてありえない。苦々しげにリジェが説
明した。その後を継ぐようにヤージュが叫んだ。
「だから! 精霊の意思力が素直に働かねぇっ。力比べだ!」
 ぐっと両手を前に突き出す。
「地界の守護者、炎を司る者よ、この歌人は汝の下に至れり。力の子よ、汝のそれ
をおきて他の友情は存せざればなり。三重に覆う汝の庇護は実に吉祥なり。危害を
加うる矢を遥か彼方に遠ざけよ」
(あれ? これって……)
「どうしたの、ラサ?」
「最初だけ違うけど、私、この歌知ってる」
「……そうなんだ」
 精霊への祈りの歌が、ちゃんと残っていたんだ。精霊の面影は外の世界にもまだ
あったんだ。嬉しくて、口の端に笑みを浮かべた。しかし、今はそれどころではな
い。
「こは水の注ぐところ、大海(わたつみ)の安ろうところなり。ここをおきて他の
道をとれ。それによりて意のままに進め!」
 炎が激しく揺らめいた。不可視の存在が宿る。ラサは前よりもはっきりとそれを
感じることができた。しかし炎の中にはそれとは別の力も感じた。
(これが、神の力……?)
「くっそ……」
 ヤージュの口からうめきがもれた。燃え上がる炎を退かせるというのは本来の火
の性質とは異なるものだ。それを強要するには、相手が悪い。『聖火』は生半可なこ
とで消えはしない。額に汗が浮かび始めた。
「ヤージュ、頑張って!」
 思わずリジェが声をかけた。それに応えるように、一瞬精霊の力がもう一方の力
をねじ伏せた。炎の壁に切れ目が入る。そこから倒れている女性の姿が垣間見えた。
もう、気を失っているようにも見えた。
「アルナさん!」
 リジェが叫んで一歩踏み出す。しかし、そこまでだった。ゴウッと風がうなった。
 ヒヒーン!
「きゃあっ!」
「くそっ、駄目なのか!?」
 炎は再び勢いを取り戻していた。それどころか、かえって勢いづいたようだ。一
気に三人と一頭の方に向かって赤い舌をのばす。
「ちくしょう……どうしろってんだ!?」
「…………」
 リジェは唇を噛んだ。エスタリーシャがいるから水場まではすぐ行けるだろう。
しかしどうやって運べばいい? ここまで勢いのある火を消すとなるとかなりの量
が必要だ。時間もない。焦りばかりが大きくなる。
 その隣でラサもまた、何もできない自分に苛立ちを覚えていた。人が、しかもリ
ジェとヤージュの知り合いらしい人が生命の危険に晒されている。なんとかできな
いのだろうか。何かできるはずだ。否、やらなくてはならない。もう、人が死ぬの
を見るのは、嫌だ。
(水……どこから持ってくればいい? 今すぐここに、大量に持ってくる方法……)
 知らず、ラサは右手でペンダントを握りしめていた。前に、リジェからもらった
『鍵』をなくさないように紐でつるしたものだ。ひやりとした感覚が伝わってくる。
その感覚が少しだけラサに冷静さを取り戻させた。そして、ふと心の中で蘇る声が
あった。
『つ・ま・り! おまえが水の精霊を呼べるって事だ!』
(……私が、水の精霊を呼び出せる。水の精霊を……)
 ラサは瞳を閉じて深呼吸した。空気が熱く、あまり気分は良くないが、集中する
には必要な場合が多い。改めて胸元の『鍵』を握る。
「お願い、水の精霊……」
 祈るような呟きが、ラサの口からもれた。目を閉じたまま、心は言葉を探してい
る。以前、リジェには歌うことを請われた。さっき、ヤージュが詠唱したのは旧い
歌だった。それなら、と思う。ラサはこの場に相応しい歌を知っている。
(私にその資格があるというのなら、応えて! 私達を守って!)
「強力なるものを、これらの讃歌もて呼べ。雨呼ぶものを讃えよ。頂礼もて彼の者
の心を得んと努めよ」
「ラサ!?」
「……吼えよ、神鳴れ、胚種を置け、水に満てる車もて飛び回れ。紐を解きたる革
袋を下方に向けて強く引け。高き所も低き所も水もて一様ならしめよ。我らに大い
なる庇護を与えよ。雨よ、汝が高らかに吼え、雷鳴を轟かせつつ、悪業者を殺すと
き、地上にありとあらゆるもの皆歓呼す…………」
 リジェの呼び声がひどく遠くに聞こえた。握りしめた手の中から青い光がほとば
しる。ラサの体がその光に包み込まれる。何か、懐かしい光だった。穏やかな光に、
ラサは身を委ねた。力が抜け、意識も薄れていく……。


 気がつくと辺りには何もなかった。明るいのか暗いのかさえ解らない。あるのは
自分の意識だけ。肉体さえも何処かに置いてきてしまったようだ。浮遊感にも似た、
どうにもおぼつかない感覚がつきまとう。
(…………何処かしら、ここ……?)
 ぼんやりした意識で、ラサはようやくそれだけ考えた。さっきまで何をしていた
のか、そんなところまで考えがまわらなかった。そのまま、何をするでもなくただ
空間を漂っていた。
 そして気付いた。ここが何処なのか。
 無もなく、有もない。光も闇もない。あらゆるものが可能性の名の下に混沌とし
ていた、世界が生まれる前の空間。何一つ存在せず、すべてが在ったところ。ここ
から世界が生まれるのだ。
 と、ラサは自分以外にもう一つの意思が在るのを『見た』。
(神様……?)
 違う、とラサは瞬間的に確信した。啓典によれば神は言葉によって世界を創造し
た。しかしそこには言葉がなかった。もっと曖昧な、それでいて強い意思。
(……あれは、何…………?)
 刹那、辺りが光に包まれた。意識までもが真っ白に染まる。光を抜けると、別の
景色が飛び込んできた。空も大地もある。今と変わらぬ世界だ。
 何処かから叫び声が聞こえた。慌ただしい空気が伝わってくる。ラサはそちらへ
意識を向けた。意識だけの存在となったラサは望むだけで好きな場所へ行けた。何
人かの人が輪になって話し合っているようだった。その中心に、奇妙な穴が開いて
いる。
(あれって……!)
 その穴は、何色ともつかず、底も見えない。そこだけ世界が別のものでできてい
るようだった。嫌な感じだ。ラサは前にも同じ感覚を味わっていた。少し意識がは
っきりしてくる。確かラーフィスとケーティアと名乗った、不思議な二人組の作り
出した空間に、あの穴はそっくりだった。
 一体あれは何なのだろう。そう思って見ていると、輪になった人々が何かを唱え
始めた。その声に吸い寄せられるかのように、精霊が集まってきた。そして、どう
言えばいいのだろう。砂を色や形で種類ごとにより分けようとしたらこんな感じか
しらとラサは思った。精霊たちが穴の中からそれぞれ同じ性質のものを選び出し、
各々の場所へと運び去っている。そうこうしているうちに穴は地面に変わり、他の
ものは空中に消えてしまった。ずっと事の成り行きを見守っていた人々は、安堵し
た様子で去っていった。
 再び意識が光に包まれる。
 次に現れたのは、何処かの神殿だった。老若男女を問わず、一様に白い服を着て、
祈りを捧げている。神聖なはずのその光景が、ラサには異様なものに見えた。他の
すべてを拒絶するようで居心地が悪かった。早くこの場から消えたい、そう思った
瞬間。
(……!)
 ラサは精霊の声を聞いた気がした。悲痛な声で。忘れないで、と。
 ラサの中で何かが弾けた。景色が遠のき、今まで感じていた世界の記憶が順序も
なく回っていた。驚いて、眩暈のような感覚を覚える。それがしばらく続き、やが
て……。
 ふいに意識が飛翔した。
『……………………』
 何かが語りかけてきた。それが水の精霊であると、ラサはすぐに了解した。ラサ
は飛翔感の中で精霊たちに返事をした。
(ごめんね、待たせて。もう大丈夫だから。皆の声、私が聞くから……)

 炎を上げる森に、恵みの雨が降りだした。