光のきざはし - 6章 XREA.COM

 日暮れ時にはすでに空は雲で覆われて、今にも降りだしそうだった。運良く、旅
人の休息のために建てられた小屋に辿り着くことができたので、一行はそこに泊ま
ることにした。汚れが目立つが、雨の中で寝るよりだいぶいい。
 荷物をおろすと、早々にラサは水を汲みに出ていった。
「ありがとう、ヤージュ。もう平気だから……」
 ラサを見送ってから、リジェが申し訳なさそうに言った。昼間倒れた後、リジェ
はすぐに目を覚ましたが、どうにも足元がおぼつかないので、歩いている間ずっと
ヤージュが肩を貸していたのだ。もう小屋に着いたし、さすがに疲れただろうと思
ってリジェは言ったのだが……。
 ヤージュはリジェの体を支えたまま一瞥をくれただけだった。無言でリジェを敷
き藁の上に座らせる。
「あ、ありがと……」
 かと思うと今度は背を向けて黙々と火を起こし始める。
(う、ひょっとして……怒ってる……?)
 気まずい。よく解らないけどひっじょーに気まずい。何か怒らせるような事した
だろうか。いまいち思い当たらない。でもやっぱり怒ってるよなぁ……。
「ただいまっ、水汲んできたよ!」
 リジェが悩んでいるところへラサが威勢よく戻ってきた。普段ならそれであっと
いう間に場が明るくなるのだが……。どう見てもから元気。リジェが倒れてしまっ
たので、まだ何も話していない。それがひっかかっていて、お互いうまく顔を合わ
せられないでいた。
「おかえり」
「待ってて、すぐ何か作るから」
「あ、手伝うよ」
「す・わ・っ・て・ろ!」
 リジェが立ち上がろうとしたところへ、間髪入れずにヤージュが怒鳴った。
「…………はい」
「ラサ、その水ちょっとよこせ」
「あ、はいはい。どうぞ」
 ヤージュは小鍋に水を入れるとそれを火にかけた。火の前に陣取ったまま荷物の
中から小袋やら小さな壺やらを出している。
「何やってんの?」
「いいからおまえはメシでも作ってろ」
「言われなくても作ってるわよ」
 確かにラサの手は小型包丁を動かしている。かなり乱雑な切り方ではあったが。
「おまえ……へったくそだなぁー」
「悪かったわね」
 顔を赤くしながらラサはヤージュから見えないように手で野菜を隠した。実を言
うと小さい頃から歌や舞踊の練習ばかりだったので、あまり料理をしたことがない
のだ。
「僕がやろうか……?」
 リジェが二人の後ろから声をかけた。ずっと背中を向けられていると、一人だけ
輪から外れている気がして仕方ない。
「おーまーえーはーなぁー……」
 なんっにも気付かない様子のリジェに、ヤージュはため息をつきながら頭を垂れ
た。ゆっくり振り返ると、リジェが捨てられた子犬の目で見つめている。そういう
目で見られると怒りもしおれてくる。降参だ。ヤージュはもう一度、大きく息を吐
いた。
「……リジェ」
「何?」
「オレが怒ってるのはいくらなんでも解ってるよな?」
「うん」
 ここで「解らない」と言われたら泣きたくなるところだが、さすがにそれはなか
った。ついでもう一つ質問する。
「何でか解るか?」
「わかんない」
「…………そうか……」
 言わないと解らないか。なんでこいつはこういうときばっかり鈍いんだろう。小
袋の中身を鍋に放り込みながらヤージュはちょっぴり悲しくなった。
「ちなみに……おまえ気分はどうだ?」
「え? ああ、もう何ともないよ。いつもどおりだって」
 リジェは笑顔を作って答えた。半眼でヤージュはリジェを見つめた。
「じゃあちょっと立ってみろ」
「うん」
 素直にリジェが立ち上がろうとすると、ヤージュの右手が素早く動いた。気付い
た瞬間、膝立ちのリジェの頭に、小さな木の実が命中する。
「……ヤージュ?」
「そら見ろ。今のも避けられなくて何が『いつもどおり』だ。笑わせんな!」
「え?」
 まだヤージュの意図が飲み込めず、リジェは目をぱちくりさせた。
「何かあったら言えって言っただろ! 決めた。金輪際体調に関してのおまえの『大
丈夫』は信用しない!」
「へっ?」
「だからね、ヤージュはリジェを心配してるの」
 このままでは埒が明かないとラサが助け船を出した。ヤージュの性格でははっき
り言うなんてとてもできそうにない。案の定ラサが口を挟んだ途端、微かに顔を赤
くして鍋に向き直ってしまった。
「だから……無理しなくていい時まで無理すんなってことだよ!」
 倒れてしまうほどに力を使ったのは、いいにしておく。あの場合は他になかった。
無理させるしかなかった。だがその後、気を失ったリジェが目を覚ました時。まだ
青い顔してるくせに大丈夫、と笑顔をみせた。冗談じゃない。そんなことされても
かえって心配になるだけだ。
「それとも、オレの事、頼りにできないって言うのか」
 そう、静かに言われて、リジェは驚き、弾けるようにかぶりを振った。
「違う! そうじゃない、そんな事ない。ごめん、本当に……ごめん」
 心配かけたくないと思っただけなのだけれど。それはただの独りよがりだったと
指摘されてリジェはようやくヤージュが怒ったわけを理解した。
「解ったならもういい。……飲めよ」
 ぶっきらぼうにヤージュがカップを差し出した。中には出来たばかりのチャイが
湯気を立てていた。リジェは笑顔になってそれを受け取る。
「ありがとう」
 そこへラサが陽気な声を上げた。
「はーい、こっちもできたわよ」
「……おまえも飲むか?」
「え? あ、うん。ありがと……」
 まさかヤージュにお茶をいれてもらうことがあるとは思いもしなかったので、か
なり驚いたが、断る理由もないのでありがたくいただくことにする。かなり熱いの
で少し冷ましてから、一口。
「! おいし〜っ」
「それにひきかえおまえの作ったメシはまずいな」
「あ、ひっどーい。せっかく作ったのに」
「正直に感想を言っただけだぜ」
「もう少し言い方があるでしょ。ねぇ、リジェ」
 不意にいつもの調子になって、リジェは笑い出した。何気ないやり取りがこんな
に嬉しく感じたのは初めてだ。『いつもの』調子。そう、既にラサは立派な旅の仲
間だった。さっきまでの気まずさもどこかへ吹き飛んでしまった。今なら、いろい
ろ話せる気がする。
「あ、そうだ。リジェ、これ返すわね」
 ポンと手を打ってラサが青い『鍵』を差し出した。リジェが倒れる前に渡したも
のだ。だがリジェは首を横に振った。
「それ、ラサが持ってて」
「どうして? 捜し物だったんでしょう?」
「そうだよ。でもそれは僕のじゃない。ラサの物なんだ」
「? どういうこと?」
「……今から、話すよ」
 たとえ信じてもらえなくても。軽蔑されることになっても。
「さて、何から話そうかな」
 話すと決めたものの、言うべきことはありすぎて、しかも普通の人からすれば途
方もないことで、どう話せばいいのか解らない。それを見てラサが言った。
「じゃあこっちから質問していい?」
「うん、どうぞ」
「昼間、あの変な二人組も、リジェも口にしてたけど……『せいれい』って何?」
「精霊か……。ラサにならもう『見える』と思うよ」
 そういうとリジェはヤージュの方を見た。それで話は通じたらしく、「はいはい」
と投げやりに言いながら、ヤージュは火にくべてあった枝を一本引き抜いた。その
枝の先端を指してラサに見せる。
「はい、これがふつーの火」
 それはそうだとラサがうなずく。それを確かめるとヤージュは何やらぶつぶつ言
って、枝の先で燃えている火に手をかざした。そしてまたその火をラサに見せる。
「んで、これが炎の精霊の宿ってる火」
「はあ……?」
 いきなりそんな言い方されても解るわけないじゃない、と思いつつラサは枝を眺
めた。さっきまでと同じように火が燃えているだけ……。
「!?」
 どこか変な感じがして、ラサはくい入るように火を見つめだした。目で見てはっ
きりこうとは言えないけれど、何かがそこにいると思った。意思が宿った、とでも
言えばいいだろうか。『見える』と言うより『解る』感じ。
「これが……精霊?」
「そう。今そこにいるのはヤージュも言ったけど炎の精霊。他にもいろんな精霊が
いるんだけど、それらは大きく四つに分けられる。天・空・地の世界に在るものと
その狭間を巡るもの。炎の精霊は地界の精霊なんだ」
「はあ……」
 ゆっくりと説明してくれるリジェの顔を見ながら、ラサはぽかんと口を開けてい
た。今まで想像だにしなかった概念でもって話されても、何と言うか、返事のしよ
うがない。
「えっと、まあそういう種類があるのはいいとして、結局どういうものなわけ?」
「うーん、そうだなぁ……。世界を構成しているもの、じゃないな……構成を作り、
維持しているものって言えば良いのかな」
 根本的に精霊とはなんなのか、うまく説明するのは難しい。「人間とは何か?」
と言うのと同じようなものだ。何となく解っているのだが、口ではすべてを言い表
せない。
「ごめん、リジェ……。よく解らないわ」
 今の言葉からでは納得するほうが不思議である。
「いや、あの、僕の方こそうまく言えなくて……。つまり、さっき言ったいろいろ
な精霊たちが今の自然を作り出しているんだ。精霊が均衡を保っていてくれるから、
世界には動植物が生きていける。ずっと昔は、皆精霊と語らって生きてたって聞い
てる」
 精霊が自然を作り、そのおかげで生きていける……? 精霊が世界を造ったって
事? でも精霊なんて、今まで歌ってきたどんな歌にも、物語にも出てこなかった。
この世界を造ったのは……。
 訝しげなラサを見て、リジェは小さく笑った。
「いいよ、無理に信じなくても。とりあえず聞いててくれるかな」
 そう言われて無言でうなずく。
「人と精霊が一緒に暮らしてたってとこまで話したよね。でも、人はいつの間にか
精霊の言葉を聞かなくなった。いつしか人は精霊を忘れていった。……それでも、
精霊を忘れまいとする人々がいた。その人達はずっと周りに訴えかけてきたけど、
駄目だった。とうとう精霊も人に力を貸すことを止めてしまった」
 まるで思い出話のように、リジェは淡々と語った。見たこともない、遠い昔の話
を。
「だけど精霊は、約束してくれた。四つの贈物を見つけ、それぞれを己が物とする
人間が現れた時、再び人の前に現れるって」
「…………なんだか、昔話みたいね」
「そうかもしれないよ」
 信じているのか、いないのか良く解らない口調でラサが言うと、リジェは笑みを
浮かべた。頭ごなしに否定されなかっただけでも十分だ。自分がとんでもないこと
を言っているのは承知の上で話しているのだから。
「それでリジェは、四つの贈物とやらを捜してたって訳?」
「そういう事。そしてその『間の鍵』も贈物の一つ」
 言われてラサは『鍵』を目の高さにぶら下げてみた。そうか、これはそんなにす
ごいものなのか。…………って、あれ?
「なのにこの『鍵』、私に持たせとくの?」
 動揺を押し隠してラサが聞いた。さっき、リジェは何て言った……?
「だって、それはラサのだったんだよ」
「えと、それってのは……」
「つ・ま・り! おまえが水の精霊を呼べるって事だ!」
 唐突にヤージュが口を挟んだ。一瞬の沈黙。そして。
「えええええええ〜っ!?」
 あわてふためいた声が小屋中に響き渡った。あまりのうるささに、ヤージュは耳
をふさいで顔をしかめた。真正面にいたリジェなんか耳がジンジンしている。そん
な二人にかまわずラサはわめきたてる。
「どうして私なのよ。今まで何にも知らなかったのにいいの? そもそもなんで二
人は精霊とか、そんなこと知ってるの!?」
「あ、えぇと、うーん。そんないっぺんに言われても……まあ家系っていうか、血
筋とかあったりするんだけど。それはおいおい話すとして」
「何?」
 ふっとリジェの顔が真剣になった。リジェ達にとってはここが最も重要なことだ
った。
「今日は何も解らないままラサを巻き込んでごめん。あの二人が何者なのか、僕に
も解らないけど、一緒に旅してたら、また今日みたいなことがあるかもしれない。
そんな旅だって解ったのに、これ以上一緒にいることを僕達が強要するわけにはい
かない。だから、ラサが決めて。……これから、どうする?」
 例えラサが捜していた相手だとしても、無理やり仲間にしたりはできない。危険
な目に遭わせておいて、無責任に「ついてきて」なんて言うのは傲慢だ。ここで別
れることになっても、それは悲しいけれど仕方ない。リジェは緊張した面持ちでラ
サの答えを待った。
 まっすぐにリジェを見つめ、ラサが、きょとんとした顔で口を開いた。
「どうするって…………そんなの、いまさら聞く必要ないじゃない」
 その一点に関して、ラサは意思を変えたことがない。初めて会った時からずっと
同じだ。
「一緒に行くわよ。当たり前でしょ?」
「大変なことになるかもしれないよ。それでも?」
「大変なことなんて今までだってあったわ。第一リジェは私を探してた訳でしょ? 
だったらそんな言い方しないで」
 少し拗ねた風にラサが言った。リジェは首を傾げる。どう答えたものか解らない。
頬を膨らませて「だからぁ」とラサが腰に手を当てる。
「私達もう友達よね」
「もちろん」
「じゃあ強要するとかそんなんじゃなくて、リジェの本当の気持ちを聞かせてよ。
私にどうしてほしいのか」
(僕の、気持ち……?)
 二、三度瞬きしてリジェはその意味を考えた。自分はラサの希望通りにするべき
だと思ってる。でも、ラサの力が必要なのは確かだし、いなくなると寂しい。それ
が、……本当。
(あぁ、そうか。ずるかったよね。ラサにばっかり言わせて)
「ごめん、解った。ちゃんと言うよ。僕はラサに一緒に来てほしい」
「水臭い」
「え、えぇっ!? うーんと……」
 なんだかいつもより手厳しいなぁ。やっぱりいろいろ内緒にしてたの、根に持っ
てたりして。
「なんかリジェってさ、優しいのはすっごく良いんだけど、人に気をつかい過ぎる
のもどうかと思うわ。たまには強気の発言してみてよ」
「…………『いいから僕について来い!』……とか?」
 考えたすえに、リジェが指を立てていった。ぽんとラサが手を叩く。
「それよ、それ! リジェにそう言われたら私、二つ返事で『まっかせなさーい』
ってなもんよ」
「はあ……」
「そーゆーことでこれからもよろしくね」
「あーあ、これで嫌でもこいつと行動を共にせざるをえなくなっちまったのか」
 もりあがるラサの隣でヤージュがぼそりと呟いた。「いまさら何言ってるのさ」
とリジェが笑顔を取り戻す。そう、今までと変わりはしない。三人で、旅をしてい
くのだ。
「と、話もまとまったところで」
 ラサがすっかり機嫌を直して話しかけた。
「『四つの贈物』ってことはまだ探さないといけないのよね? どうするの? ヴァ
ヒマ山脈に行くって言ってたけど、そこに何かあるの?」
「ああ、うん」
 そうだった、とリジェは昼間割れてしまった鏡を手にした。
「精霊からの贈物……。地界の象徴、ヤージュの持つ『地の鎖』、ラサに渡した『間
の鍵』、空界の象徴『空の翼』、天界の象徴『天の鏡』」
「鏡……?」
 ラサはリジェの手の中にあるものに目をやった。昼間の不思議な力はこの鏡を使
っていた。これがその『天の鏡』なのだろうか。だとすれば、リジェが天界の精霊
を呼べるという事。それにしては割れてしまったようだが……。
 ラサの視線に気付いて、リジェは小さくうなずいた。
「これが我が家に代々伝わってきた『天の鏡』だよ。とは言っても、完全な形じゃ
ないんだ。本当は別の枠に収まってたらしいのに、見つけたときにはもう外れてて。
だから外枠を探さないといけないんだ」
「しかし割れちまうとはな……。どうすんだよ」
 お手上げ、といった様子でヤージュが口を挟んだ。リジェとしてもどうしたもの
か、思案のし所であった。
「『空の翼』はヴァヒマ山脈にあるよ、きっと。空に近い場所だから。でもその前
に、うちに帰って相談してみようかと思うんだ。ひょっとしたら何か解るかもしれ
ない……」
「そっか……そうだな。それが無難かもな」
「リジェの家!? 興味あるなぁー」
 静かなヤージュの声の上に、ラサの明るい声がかぶさった。その声で朝の話を思
い出して、リジェは慌てる。
「あ、ごめんね、ヴァヒマに行きたかったんだよね」
「ああ、それはそうなんだけど……いいわよ。後で行くことにはなるんでしょ? 
なら先にリジェの家に行きましょう。本当に興味あるし。何処にあるの?」
「…………西の果て」
「はっ!?」
 ラサは一瞬我が耳を疑った。何だってそんなところに住んでいるのだろう。いや、
その前に人が住めるのだろうか。なにしろこの世界の東と南の果ては海、北は天に
最も近き山脈、そして西の果ては…………広大な砂漠なのだ。