光のきざはし - 4章 XREA.COM

 アネサルス宮殿、謁見の間。白い大理石の広間だ。窓からは優しい太陽の光が差
し込み、玉座とその後ろの壁を照らしている。壁には巨大なタペストリー。金銀そ
の他、鮮やかな色合いで幾何学模様が縫い取られている。今、玉座には若き現王、
カルマン=シーン=アネサリアが鎮座していて、左右には司祭達がひざまずいてい
る。
 そして王の御前に一人の少女が瞳を閉じて膝をついていた。わずかに青みがかっ
た銀の髪は高く結い上げられ、白い肌をした知的な美しさを秘めた顔があらわにな
っていた。
 カルマンが立ち上がった。
「これより称謂の儀を執り行なう。アルヴィナ=シーン、面を上げよ」
 名を呼ばれ、少女は一礼して目を開けた。明るい空色の瞳がカルマンを映しだす。
王は儀式の主宰者として妹の前に立っていた。張りのある声が静寂を打ち破る。
「神の御言葉を預かりし転輪聖王の血を引く者よ、汝に問う。汝の心はどこにある」
「神の望むまま、この世界に」
「何のために」
「世界が世界であり、人が人として在るために」
 この問答はただの形式ではない。儀式の度に王が候補者へ自由な問いを投げかけ
る。多くの場合、二から四の問いがかけられる。そして満足のいく答えが得られな
ければその者にはアネサリアの資格が与えられない。称謂の儀は一生に一度。血筋
的にどんなに王に近かったとしてもアネサリアとして認められなくては高い地位を
得ることはできない。
 王が求める答えは常に一つ。預言者としての位置をわきまえていることである。
預言者は神と人との間をつなぐ鎖のような存在である。決して自身が偉いわけでも
なく、神の威光を持っているわけでもない。アネサリア自身は一人の人間なのだ。
だからいるべき場所はこの世界だし、人としての力で世界を神の望むより良い世界
になるよう努力しなくてはならない。
 アルヴィナの答えはカルマンを満足させたようだった。
「汝には確かに父なる神の御心が受け継がれていることを認める。本日この時をも
って汝、アルヴィナ=シーンをアネサリアとす。ゆめその心を忘れることなかれ」
「御意。この身に流れる血に誓って」
 アルヴィナは深く頭を下げ、これによって称謂の儀は無事に終了した。明日から
は最高司祭となってアネサルスの大神殿で生活するのだ。カルマンがその事を含め
て二、三の告知をした後、大広間で祝いの宴が始まった。

(……先程のお兄様のお言葉、あれが『預言』だとしたら……)
 『預言』は神の御言葉、違えることのない真実。
 にぎやかな宴の席で、アルヴィナは一人物思いに沈んでいた。しかし彼女は宴の
主役だ。決してそれを表には出さない。宴の初めの、各地から集まった藩王や高司
祭たち一人ずつの挨拶が終わった直後から、アルヴィナの元には次から次へと数え
切れないほどの人が何かしら話しに来る。その一つ一つにきちんと応えなくてはな
らないのだ。
「アルヴィナ様、本日は誠におめでとうございます。最高司祭の任も貴女様なら立
派に果たされることでしょう」
「ありがとう。より良い世界を築いていくため、必ず期待に応えてみせますわ」
 もう何度別の人間から聞いたか解らない言葉に、アルヴィナは笑顔で礼を言う。
誰だったかしらと考えなくもないが、一度きりの挨拶で百人以上の人間を覚えられ
るはずもなく、ただどこか大きな藩の藩王だったというのをやっと思い出しただけ
だった。後に交流することがあればその時にまた名乗ってくれるのだし、それで十
分だ。
 それからさらに数人の男女と言葉を交わした後、アルヴィナはカルマンが近付い
てくるのに気がついた。ふと憂いがよみがえる。
「お兄様……」
「どうした、アルヴィナ。皆おまえのために集まったのだぞ。主役がうわの空では
困るな」
 儀式のときとはうってかわった穏やかな笑顔を向けられて、アルヴィナは「申し
訳ありません」と言いながら苦笑を返す。表情には出していなかったはずなのに、
兄にはすっかり心中を見破られていたのだ。やはりこの人にはかなわない。
「何か気にかかることでもあるのか」
「……お兄様には、嘘はつけませんわね」
 そこまで見透かされているのならいっそ話してしまったほうがいいかもしれない。
「気になっているのは、お兄様が先程おっしゃったことですわ。お聞きしたいこと
がありますの」
「聞こう。ついてきなさい」
 しばしの間、席を外すことを皆に告げ、カルマンはアルヴィナを連れて別室に移
動した。自分が席を外して大丈夫なのかとアルヴィナは心配したが、宴や祭りとい
うものは始まってしまえばどうにでもなるものだ。特に問題がなさそうなのを見て、
素直にカルマンの後に従った。そこは宴の騒がしさも届かない、静かで小さな部屋
だった。カルマンに促されるままにアルヴィナは腰を下ろした。
「さて、先程の告知のことと言うと……やはり神に背く者の話か」
「そうですわ。かつて転輪聖王様が打倒なさった、神を畏れぬ者たちが再び目覚め
るなどという事が本当にあるのですか?」
 今の平和な世界で、神への感謝を忘れる者が現れるなどとても信じられない。
「アルヴィナ、彼の者たちは聖戦に負けた後も完全に絶えていたわけではない。偉
大なるチャクラヴァルティンとて完全ではなかったし、殺戮はできる限り避けよう
とされたのだろう。彼等は今も我らの目の届かぬどこかで生き続けているのだ」
「そんな……」
「そして今、彼等が再び立ち上がり、世界を混乱に陥れるだろうと『預言』が出た」
「!! ……解りました。神の御言葉なのですね」
 ならばそれは確実なのだ。こんなにも平和な世界に混乱が訪れる。考えるだけで
恐ろしいことだった。しかし、その混乱を可能な限り押さえるために、神は『預言』
を与えてくださるのだ。
「お兄様、それでどうするおつもりですの?」
「すでに神に背く者と思しき人間がどこにいるのか探らせている」
「見つかったら……」
「おまえは知らぬ方が良い」
 カルマンはアルヴィナの言葉を静かに遮った。だが明日からアルヴィナは最高司
祭として世界中の神殿の上に立つ身だ。世界に関わるこんなに大きな事を知らずに
すまして良いはずがない。それをあえて知らせないのはなぜなのか。
 アルヴィナは兄の顔を見つめた。その表情は硬い。
(…………まさか!)
「殺めてしまうおつもりなのですか?」
 青ざめた顔でアルヴィナが尋ねた。カルマンが表情を変えないまま見つめ返す。
重々しくその口が開かれる。
「古の戦いを繰り返さぬためには他にいたしかたあるまい」
「お兄様!」
 アルヴィナは思わず立ち上がった。銀の髪がさらりと揺れる。だがしかし、微か
に非難の色を交えたその声にもカルマンは動じなかった。かえってアルヴィナのほ
うが声を荒げてしまったことに恐縮する。座りなおしてからアルヴィナは改めて話
しだす。
「どうか人を殺めるなどということはお止めください。他に方法があるはずです」
「ではどうしろというのだ?」
「私が説得します」
「なんだと?」
「私が彼等に神の御意志を説いてみせます」
 一瞬の沈黙。二人の視線が正面からぶつかり合う。
「かつて我らが祖先は自らそれを行ったがついに説得することかなわなかったのだ
ぞ」
「私は転輪聖王様ではありませんし、彼等もまた当時の人間ではありません。やら
ないうちからできないと決めつけるものではないと思います」
「………………アルヴィナ」
「お兄様、どうかやらせてください」
 アルヴィナの真摯な姿にカルマンの心は動いたかに見えた。しかし大きく息を吐
いた後、カルマンはゆっくりとかぶりをふった。
「無理だ」
「どうして……!」
「できないのだよ、彼等を説得することは。近いうちに嫌でも解る。だから……今
はもう、これ以上聞くな」
 そこまでいわれてアルヴィナは何も言えるはずがなかった。カルマンは血の繋が
りは半分しかないとしてもたった一人の兄で、この世界の王でありアネサリアであ
る。アルヴィナにとって兄は信頼と尊敬の対象なのだ。いろいろと考えた末の結論
に違いない。釈然としないものを感じながらも黙るしかなかった。
 たたみかけるようにカルマンが立ち上がる。
「もう今日は下がりなさい。明日からは忙しくなる。義母上(ははうえ)のところ
にでも顔を出してくると良い」
「…………そうしますわ。失礼します、お兄様」
 アルヴィナの母親は、夫である前王の墓所近くで隠棲していた。アルヴィナが物
心つく前、前王が逝去したおりに、夫の側でひっそりと暮らすことを選んで宮殿を
去っていったのだ。世間では後妻であることや自身がアネサリアでないことに引け
目を感じたからだとか、前王への愛のためだとか言われていたが、実のところ、平
民出の彼女は宮廷の窮屈な暮らしから逃げたかったというのが本音らしい。アルヴ
ィナにしてみれば幼い頃から両親のいない生活を強いられていい迷惑だ。
 それでも母親は母親。嫌いなわけではない。だが墓所は聖都の外れにあるため普
段はなかなか会えない。せっかくだから訪ねてみようとアルヴィナは思った。
 自室に戻って盛装を解いてから牛車に乗り込む。白い牛に引かれた車はゆっくり
と王の墓所を目指して進みだした。その中でアルヴィナはひたすら考え込んでいた。
カルマンの言う事も解らなくはない。しかしそれを素直によしとして良いものか。
アネサリアとして自分にできることがあるのではないだろうか。
(そうでなければどうして最高司祭などつとまりましょう)
 世界中の神殿の頂点に立つ者がなしくずし的に物事を認めていては、世界をより
良い方向へ導くことなどできるはずもない。弱冠十四歳にしてアルヴィナは自らの
立場と責任を認識し、受け止めていた。
 それだけに深く考え込んでいるうち、牛車は目的地に到達した。外から呼びかけ
る声でアルヴィナは我に返る。車を降りるとすでに出迎えの女性が立っていた。
「本日は御即位おめでとうございます。ようこそおいでくださいました。どうぞこ
ちらへ」
 促されるままにアルヴィナは母親が待つ部屋へ向かった。小さな屋敷なので、す
ぐ扉に行き着く。案内してきた女性が扉を開けると、良く知った笑顔が視界に飛び
込んできた。
「アルヴィナ、久し振りね。元気にしていて?」
「はい。お母様もお変わりなさそうですわね」
 いきなり砕けた口調で話しかける母親の性格がアルヴィナは好きだった。ここで
は何ひとつ気取ったり飾ったりする必要がない。いつでも会えれば良いのにと思う
半面、この人の性格なら宮廷に長居できなかったのも仕方ないという気がしてくる。
今日アルヴィナがこなしてきた百人以上の他人との挨拶のやり取りなど彼女は途中
で投げ出すに違いない。
「今日は貴女の称謂の儀だったわね。貴女のことだから無事に済んだのでしょうけ
ど」
「はい。明日より神殿でのお勤めになります」
「おめでとう。大変でしょうけど頑張って……なんて言わなくても貴女はいつも真
面目に頑張ってるわね。適当に息抜きするのよ。そう言えば私ったら、お祝いの宴
に出るべきだったのよねぇ……ごめんね、ああいう場所はちょっと苦手なのよ」
 実際、宴にきてくれなかったのは少し寂しかったし、その位は社交辞令として割
り切ってほしいものだが、こうもあっけらかんと言われると文句をつける気もなく
す。そもそもこういう人なのは解っていたことだ。アルヴィナは小さく微笑んだ。
「お母様は本当に自由でいらっしゃいますわね」
「何を言っているの」
 不意に真面目な声で返事が返ってきた。
「本当は皆、自由なはずよ。アルヴィナ、貴女だって自由なのよ。自分の望むこと
をなさい。自分を偽っていては他人を導いたりできるものですか」
「お母様……」
 自分の何気ない一言に対して母がこうも強く答えるとは思わず、アルヴィナは戸
惑った。
「さあ、何がしたいの? 神殿に入ったら忙しくなるんでしょう? やりたいこと
があるのなら今のうちにやりなさい」
「私は…………」
 やがて長い沈黙の後、決心とともに紡ぎ出されたアルヴィナの言葉に元王妃は不
敵な笑みを浮かべた。
「おもしろそうじゃない。どーんとやっちゃいなさい」
「でも大丈夫でしょうか。大勢の方に迷惑をかけることに……」
「良いのよ。それだって貴女の立派な仕事だわ。こっちは私が何とかしといてあげ
る。たまには娘のために頑張らなくちゃね。だからいってらっしゃい」
「お母様……。ありがとうございます」
 今日ここにきて本当に良かった。アルヴィナは迷いの晴れた顔で微笑んだ。自分
は自分のやり方でアネサリアとしての務めを全うすれば良いのだ。
(平和な世界のために。お兄様より先にかならず……!)