光のきざはし - 3章 XREA.COM

「うそぉー! お金ないの?」
 せっかくにぎやかな町に出たのに。金がなければ買い物どころか宿屋に泊まるこ
とすらできない。ラサは信じられないといった様子でリジェを見た。しかしいくら
見つめられたところでないものはない。リジェは肩をすくめた。
「とりあえずご飯食べるぶんくらいならあるけど」
「そんなんで今までどうやって旅してたのよ?」
 額に手を当てて大きく息を吐くラサ。あまりの反応に、リジェは頬を掻きながら
答えた。
「だって……けっこう野宿とか多かったし……。」
「野宿って、雨季の時も? 夏が終わったら長雨よ?」
「雨季か。去年はリジェの色仕掛けだったな。」
 一人うなずきながらヤージュが口を挟んだ。「はあ?」とラサが振り返る。
「なんなのよ。色仕掛けって」
「オレが食料探しに行ってる間、こいつ雨も気にせず突っ立って待ってたんだよ。
そしたら、どっかのお嬢様が『私ならあなたのような人を待たせたりしませんわ。
ぜひ我が家にいらして』とか言って……」
「はぁ」
 わざわざ声真似までしてくれなくても。にしても雨に濡れて立っているだけでお
嬢様の心を射止めるとは罪作りな奴である。
「だけどやっぱりお金はいるわよ。だめよー、ちゃんと働かないと」
 幼い頃から舞踊団で働いていたので、働かざる者喰うべからずという格言が身に
しみている。例え自分で買い物をしたことがなくて、金銭感覚がなくてもなかなか
まともなことを言っている。
「だいたい、お金がないと新しい服買えないじゃない!」
真意はそこか。
「それしか持ってないわけじゃねえんだからいいだろ」
 あほらしいとそっぽをむいてヤージュが呟く。ラサがむっとしてそちらを睨みつ
けた。が、次の瞬間、目を大きく開いた。ぽん、と手を叩く。
「ラサ?」
「じゃあ私、今からお金稼いでくるわ」
「は?」
 ラサの唐突な発言にリジェは目をしばたたく。お金がない、でも何か買いたい、
だったら稼ごう。そういう思考は解るのだけど。
(どうやって?)
 ずいぶんあっさり言うけど、そんなに簡単に稼げるものでもないだろう。いつま
でも首をひねっているリジェがおかしかったのか、笑いながらラサがすぐそこの壁
を指差す。
「これよ」
「貼り紙?」
 何が書いてあるのかとリジェが覗きこむ。隣からヤージュも割り込んできた。
「『称謂(しょうい)の儀記念祝賀祭のお知らせ』……? なんだそりゃ」
「いやそれは私もよく解らないんだけど」
 がくっとヤージュが肩を落とす。
(…………まあいいけどよ)
「称謂の儀っていうのは王家の人がアネサリアの称号を贈られる儀式のことだよ。
確かこの儀式の後じゃないと王様とか最高司祭にはなれないんだったかな?」
 貼紙を見たままリジェが説明した。
「へえー、リジェってば物知りね」
「そう言えば俺等と同い年くらいのお姫さんがいたっけ。名前覚えてないけど」
「あ、それは知ってる。アルヴィナ様よ、アルヴィナ=シーン様」
「うん。ところでさ、確かに僕その位までなら知ってたけど……ここにも一応書い
てあるよ?」
 しーん。ちょっと間の抜けた沈黙。
 リジェがてんてんと貼紙を指差す。良く読もうね。ま、今の場合読まなかったか
らって困るものでもないけど。
「とーにーかーく! 私が言いたいのはその下なのよ」
 ラサが無理やりに話題を戻した。リジェとしてもそんな事にこだわるつもりはま
ったくないので素直に貼紙の下の方を読む。
「ほらここよ、ここ!」
「えーと、『舞踊発表会、飛び入り歓迎! 優秀者上位三名には賞金と、副賞とし
て当地特産の更紗を差し上げます。皆様ふるってご参加ください』……これに出る
の?」
「その通り! ちょうどこのお祭りって今日からみたいだし。儀式は明後日からだ
けど祭りは今日から五日間やるって書いてあるわ」
 ラサは上機嫌だが……、これはつまり三位までにならなくては意味がないという
事だ。無理とは言わないけれど、そんなに簡単な事じゃないだろう。こんな大きな
祭りなら参加者も多いだろうし。
「確かにここも大きな街だけど、カンセナじゃあるまいし」
 リジェの態度を見て不満そうにラサが言った。こと歌曲・舞踊に関してはカンセ
ナに優るところなんてない。聖都でさえそうだ。神殿お抱えの踊り子は八割方がカ
ンセナで舞踊を教わっている。そのカンセナでラサは一目置かれていたのだ。甘く
見ないでほしい。
「そう言えば二人とも私の踊り見たことなかったわね。後で驚くわよー」
 まあそこまで言うなら、止める必要もないし、頑張ってきてねと言うしかないか。
どんなのを踊るのかも見てみたいし。そこへヤージュが眉をひそめて口を出した。
「おまえ人前に出て目立ってもいいのか?」
 忘れてはいないか。舞踊団から逃げてきたのに踊りで目立ってたら見つかるので
はなかろうか。それでまた厄介なことになったらつまらない。面倒なことは嫌いだ。
 ヤージュの言いたいことが解ってリジェも「そうだった」とラサを見た。二人に
見つめられてラサはうーんと考える。
「でもまあ、大丈夫でしょ。あいつらはカンセナより遠くに行くことはないし、偽
名でも使えば、ばれないわよ」
「ならいいけど」
 リジェは安心して微笑み、ヤージュはため息をつく。自信があるみたいだし、驚
かせてもらいましょうか。

「では次の方……。おっと、飛び入り参加の方ですね。四十九番、サラ=マリスさ
ん」
 公園の野外舞台の隅で声の大きな男が司会をやっていた。会場についたときには
もう人だかりができていたので、リジェとヤージュは少し離れた場所からその様子
を見ていた。
「なんつーか、偽名考えるならもうちょっとひねれって感じだよな」
 少し字の位置を変えただけじゃねぇか。都合良くはえていた木の上でヤージュが
呆れる。なんでそんなところにいるかというと、リジェが見つけたのだが、ここな
らよく見えるし、人とぶつかったりしないから。ヤージュとしてはそれほど興味が
あったわけでもないが見ないと後でラサがうるさそうだから、せめて楽に見られる
場所にいようと思ったのだ。リジェは幹を挟んで反対側の枝に腰掛けている。
「偽名なんでそんなもんで良いと思うけど。それより始まるよ」
「へいへい」
 艶やかに着飾ったラサが舞台の中央に立ち、両手を交差させる。すぅっと辺りに
静寂が訪れた。視線が一人の少女に集中する。その空気を読んでラサが高く足を踏
み鳴らした。足首に付けたたくさんの小さな鈴が公園いっぱいに響き渡る。すぐに
追いかけてヴィーナーが水面のうねりを思わせる音色を奏で始めた。
 ラサが踊り始めたのは、有名な古代の英雄譚を舞踊化したものだ。その中でも最
後の一幕、悪竜を倒した英雄が神の祝福を受けて美しい姫と恋を成就させる場面で
ある。めでたい祭りの雰囲気にもってこいの選択だ。誰でも知っている話だから観
客ものめりこみやすい。
 音楽にのった動きはどこまでも優雅、それでいてリズミカルで快活さを失わない。
指先に至るまで表情が溢れていた。音楽と鈴の音があいまって、見ている人を次第
に幻想世界へ導いていく。踊っているラサは現実よりひどく大人びて見えた。
 ほう、と観客の中からため息がもれた。着飾った踊り子は綺麗に見えるものだが
(余談だが大抵の踊り子はもとから美人が多い)、ラサの場合はまるで別人だった。
そこには確かに英雄と姫の『二人』がいた。
「大口叩くだけあるじゃんか」
 ヤージュが小声で茶化した。素直でない人間の台詞としてはかなりの褒め言葉だ
ろう。素人目にもラサが舞踊の天才であることが解る。後で馬鹿にしてやるつもり
だったのに、できないではないか。ちぇっ。と、リジェが食い入るように舞台を見
つめているのが目に入った。
(? こいつそんなに舞踊に興味なんてあったっけ)
 それともラサの見事な化けっぷりに驚いたとか。何にしてもあんまりぼけっとし
てると木から落ちるかもしれない。
「おい、リジェ……!」
 すぐ側で囁かれてリジェは我に返った。喜びとも困惑ともつかない表情でヤージ
ュを見上げる。
「どうしたんだ?」
「感じるんだ。とても、強く」
 声が震える。この感じはつい最近も感じた。小さな島の水の庭園で。『鍵』と同
じ……。そう、これは水の波動。……ラサから!?
「歌のせいじゃ、なかったんだ……」
 あの島でラサが歌ったとき、水の力が強くなったように感じたけれど、それはあ
の場所だからだと、流れを表すものだから旋律に反応したのだと思っていた。だけ
どそうじゃなかった。『鍵』がもたらされたのはラサの歌のおかげではなく、ラサ
のおかげだったのだ。
「見つけた……」
「あん?」
 舞台では既にラサが終わりの礼をしている。それでもリジェは視線をそらせなか
った。怪訝そうなヤージュに今度ははっきり宣言する。
「『間(はざま)の鍵』の持ち主が見つかったんだよ、ヤージュ」
「…………あいつが!?」
 ゆっくりとリジェはうなずいた。探していた同胞、こんな所にいたなんて。出会
えた喜びと共に、これから起こることに彼女を巻き込まざるをえない戸惑いが心を
よぎる。
 震えるヴィーナーの余韻がいつまでも胸に残っていた。