光のきざはし - 1章 XREA.COM

「あれ……」
 ふわりと髪を撫でるそよ風に、何かが混ざった気がした。吸い込まれそうに澄ん
だ黒い瞳をパチクリさせながら、リジェ=ルナはつぶやいた。立ち止まってゆっく
りと辺りを見渡す。
 南方特有の、枝のない大きな葉をした木が立ち並び、影を落としている。木のて
っぺんには子どもの頭ほどもある大きな実。ここ数日ずっと眺めている風景だ。特
に変わったことはない。気のせい、だったのだろうか。
「どーかしたのか?」
 不意に立ち止まったまま動かないリジェに、前を歩いていた背の高い少年が振り
向いた。腰まである三つ編みがぽんとはねる。遅れてしまった事に気づいたリジェ
は首をかしげながら彼のもとまで駆け寄った。
「ねえ、ヤージュ。今、何か聞こえなかった?」
「『何か』じゃわかんねえよ」
 ヤージュ、と呼ばれた少年は興味なさげに言い放った。こういう言い方をされる
ということは、彼は何も聞いていないと考えるべきだろうか。リジェはあっさりと
背を向けて歩き出した幼なじみを追いかけながら説明を加えた。
「鈴の音が聞こえた気がしたんだ。ちょっとだけど」
「鈴ぅ? 今まで誰ともすれ違わなかった、このだだっぴろい森で!?」
「う、うん」
 これ以上ないというほどの胡散臭そうな声に、リジェは小さくなる。かなり挫け
そうだったが、その耳に今度こそはっきり音が届いた。鈴の音だ。ヤージュも音の
する方へ頭をめぐらす。次第に近づいてくる。しゃらしゃらしゃら……。なんだか
せわしない。よくよく耳を澄ませば、遠くに人の声も聞こえる。……と。
 シャンッ……!
「!!」
 突然、目の前に色鮮やかな衣装を身にまとった少女が現れた。瞬間視線がぶつか
り、時が止まったかのような錯覚に陥る。深い、深い海色の瞳。何かを、訴えかけ
るような。永遠のようでいて、しかし実際にはほんの一呼吸の出来事だった。瞳の
青にリジェが応える間もなく、少女は森の中に消えていった。足につけていた鈴の
音が遠ざかる。
「なんだったんだ? 今のは……」
 ヤージュのあきれたような台詞でリジェは我に返った。同時に、叫び声が近づい
てくるのに気づく。少女が飛び出してきたのと同じ方向だ。一体どうしたというの
だろう。先刻のヤージュではないが、この森に入ってから今日までの5日間、誰に
も会わなかったというのに。なんとなく立ち去る機会を逸していると、中年の髭を
生やした男と、髪をひっつめた女がやってきた。2人は肩で息をしながらリジェ達
の前を通り過ぎようとしたが、女の方がぼけっと立っている可愛らしげな少年に気
づいて声をかけた。
「ぼうず、こっちに金髪で青い目の娘が来ただろう。どっちへ行った!?」
「え? さ、さあ……」
 いきなり怒鳴られてリジェは面食らう。
「隠すとためにならないよ」
「いや、本当に……。一瞬すれ違っただけだから」
「ち、役に立たないね」
 本人は小声のつもりだったのかもしれない。が、筒抜けである。ずいぶんいらだ
っているようだが、全く失礼な事この上ない。リジェよりも隣りにいたヤージュの
ほうがかちんときた。
「おばさん、あっちあっち」
 くいっと北のほうを指す。ちょうどリジェ達が歩いてきた方角だ。
(あれ?)
 でも、それって変。確かあの子は目の前を横切っていったはず。リジェが首をか
しげている間に、女は
「知ってるならさっさと言いな!」
と文句をはきつつ、旦那の首根っこをつかんで走り去ってしまった。その姿が視界
から消えるのを確認して、今度はヤージュが怒鳴った。
「おい、リジェ! あんな無礼極まりないババアにはなんか言い返せ! 見てるこ
っちがムカつくんだよ」
「じゃあなんで教えてあげたの?」
 きょとんとするリジェ。まだ気づいていないらしい。真面目に尋ねている。ヤー
ジュは軽く肩をすくめた。
「あんなの、嘘に決まってるじゃねえか」
 ざまあみろ。
 涼しい顔の友人を見て、リジェはため息をついた。駄目だよー、人を騙すような
嘘は。
「だけど何したんだろう、あの子。踊り子みたいだったけど」
 何か、気になる。
「さーな。オレ達には関係ないことさ。行くぞ」
「あ、待ってよ」
 余計な事には関わりたくない、とヤージュはさくさく歩き出した。このあたり、
2人は好対照を成している。リジェは気になるとほうっておけない性質(たち)だ
が、ヤージュはできるだけ面倒を避けようとする。もっともヤージュのそれは、困
っている人を見るとすぐ首を突っ込む幼なじみを押さえているうちに形成された性
格といっても過言ではない。環境って怖い。
 何はともあれ歩いていると、今度は正面の木に誰かが寄りかかって立っていた。
この森に入って以来、今日は本当によく人に会う。
 相手はこちらを待ち構えていたかのように笑顔を向けてきた。
「こんにちは」
「あ、こんにちは。……って、あれ?」
 あいさつを返してから、リジェは相手が先程の踊り子であることに気がついた。
一体どこで着替えたのか知らないが、舞台用とおぼしききらびやかな装身具をはず
し、普通の格好をしていたので別人かと思ったのだ。少女はクスクスと笑う。
「さっきも会ったわね。あいさつする暇もなかったけど」
「のんきだな。変な奴らと追いかけっこしてたんじゃないのか?」
 ヤージュが探るような目つきになった。初対面の人間に待ち伏せされるのはあま
り気持ちいいものではないし、普通は警戒する。……まあ、隣にいる少年は例外だ
が。だからこそ余計にヤージュは人を疑ってかかる。どうせいつも一緒にいるのだ
から、このくらいでちょうどいい。
「なんでこんなところで悠長にオレ達を待ってる?」
 警戒されていることに気づいたからか、元からなのか。少女は明るい声で笑いな
がら答えた。
「だってあいつらを正反対の方向に行かせてくれたのは貴方じゃない。あの二人っ
てバカだから、当分気づかないわよ。ずっと走って疲れたし、のんびりもするわ」
「見てたの?」
 走っていってしまったとばかり思っていたのに、どこにいたのか。
「ふふーん。木の上」
「この木を登ったの? すごいね!」
 枝なんかちっとも張り出していないのに。木登りは結構得意だが、こういう木は
絶対に登りにくい。リジェは本気で感心した。
「こら、勝手になごむんじゃねえ! まだ質問に答えてねえぞ」
「いいじゃない、別に」
 こんなに屈託のない笑顔をするんだもの。悪い人でも敵意を持っているわけでも
ないだろう。
 ヤージュにしてみればそれが甘いって言うのかもしれないけど。案の定無言で睨
まれて、リジェは小さく首を引っ込めた。
 そのやりとりを楽しそうに見つめながら少女が尋ねた。
「貴方たち、北からの道でしょ? 森に入ってから今日で何日目?」
「5日目だけど……?」
 何を言いたいのかわからず、リジェが瞬きを繰り返した。途端に少女がニッと笑
う。な、何だろう一体。少女の人差し指がびしぃっと鼻先に突きつけられた。
「ずばり、貴方たち道に迷っているわね!?」
「え、ええ!?」
 そんなつもりは微塵もなかったので、自信ありげなその台詞に困惑する。ところ
が背後からヤージュの冷静な声。
「ちっ、黙ってたのに」
「…………ヤージュ……?」
 そーゆー事は黙っていないように。
「やっぱりね。ここってすごく迷いやすいのよ。最短距離なら3日で抜けられるん
だけど。で、相談なんだけど」
「却下」
「……まだ何も言ってないじゃない」
 頬を膨らませて文句を言う少女に、ヤージュはそしらぬ振りで言葉を返す。
「面倒なことに巻き込まれたくないんでね。追いかけらるってことは何かしたんだ
ろ」
 そんな奴の相談なんてのりたくない。
 そう言われてしまうと追われているのは事実なので返答に窮してしまう。
「さっきのだって別におまえをかばうためじゃない。オレがむかついただけでさ。
おまえがどうなろうとオレには関係ないね。だから話も聞かない」
「…………」
「だけどね、ヤージュ」
 きっぱりとした物言いに、リジェは顔をしかめた。そこまで言う必要はないだろ
う。第一。
「さっきの嘘がばれたら、絶対に僕達がこの人をかくまってるって思われるんじゃ
ないかなあーなんて」
「………………………………」
「ね」
 小首をかしげて微笑むリジェ。春風のように爽やかなその表情を見てながら、逆
にしばらく凍りついていたヤージュだった。が、ふいにあさっての方を向いて頭を
抱えた。
「しまったあぁぁー……!」
 とても悔しそうである。教訓、人間正直に生きましょう。
「それで、相談って何?」
 己の愚かさを呪っているヤージュをおいといて、リジェが向き直る。穏やかな微
笑みに、少女はかすかに頬を染めた。
(かわいいー♪)
 本人が聞いたら泣きそうな感想を心の中で呟いた。
「うん、そんな大したことじゃないわよ。私がこの森を案内してあげるから、外に
一緒に連れて行ってほしいの」
「なんだ、そのくらいならお安い御用だよ」
「コラ待て、リジェ! 勝手に決めるな」
 いつのまにか現実に帰っていたヤージュが慌てて叫んだ。
「じゃあヤージュ、ここから最短距離で迷わず森を抜けられる?」
 しかし、落ち着いた指摘に言葉を失う。こうなるともう終わりだ。ヤージュはが
くーっと肩を落とした。
「……あとでどうなっても知らねえぞ」
「うん、大丈夫だって」
「……はぁ……」
 根拠もなく自信ありげな笑みに、ヤージュは派手にため息をついた。一方少女は
満面に笑みを浮かべる。
「ありがとう! 自己紹介しとくわね。名前はラサ=マリアス、ラサって呼んで。
職業踊り子、特技は音楽全般。カンセナの歌う舞姫といえば少しは有名なのよ」
「へえー、すごいんだ。僕はリジェ=ルナ。こっちは幼なじみのヤージュ=パティ
ーグ。いっしょに旅をしているんだ。よろしく」
 ふてくされているヤージュのぶんもまとめてあいさつする。ふんふんと確認して
ラサがうなずいた。
「リジェとヤージュ、ね。こちらこそよろしく。名前、呼び捨てでいい?」
「もちろんだよ。ね、ヤージュ」
 リジェが隣を向いて同意を求める。が、あきらめモードに移行したヤージュはつ
まらなそうに視線をそらせた。とことんどうでもよさそうな口調で言う。
「好きにしろ」
「……あ、そう」
 まあ、それなら好きに呼ばせてもらいますけどね。ラサはきゅっと眉間にしわを
寄せた。
「えーと、ヤージュだったわね。そんなに私のこと邪魔? 迷惑?」
「別に何も言ってねえじゃんか。とっとと行こうぜ。案内してくれるんだろ」
 すたすたとヤージュは歩き出した。納得いかないラサはおろおろするリジェを追
い抜き、ヤージュのすぐあとについて食い下がる。
「口で言ってなくても態度が十分そう言ってるのよ」
「悪かったな。オレはこれが普通なんだよ」
「ふうん」
 本当かしら。そうだとしても、この態度はあんまりだ。無愛想にも程がある。私
は楽しいのが好きなのっ。
「……ラサ?」
 黙ってしまった少女に、リジェは恐る恐る声をかけた。一時的にしろ一緒に行く
と言った以上仲良くやってほしいのだけど。思いもむなしく足音だけが響く。やが
て、沈黙を破ったのはラサだった。
「ヤージュ、さっき名前の呼び方、好きにしろって言ったわよね」
「ああ」
 それがどうした。ちらっとも振り返らず、簡潔に答える。どうしてそうなのかと
リジェはやきもきする。一体ラサは何を言うつもりなのだろう?
「じゃあ……」
 どきどき。
「ヤッくん♪」
 ちゅどーん。………………………………おぉーい………………再起不能か?
 あ、起きた。こけてぶつけた顔面が痛そうだねえ。
「なんっなんだ、それはぁー!!」
 全身全霊を込めて叫んだ。顔が赤いのはぶつけたせいだけではあるまい。
 ラサはすました笑みを浮かべた。
「だって好きにしろって言ったじゃない。まさかもう忘れたわけじゃないでしょ? なかなかい
いと思うわよ、ヤッくん。ねー、リジェ」
 振り返ってみると。
「そうだねえ。ぷっ……くくく。かわいいんじゃない? 『ヤッくん』……アハハ、
もぉ……おっかしー」
 バカうけである。
「だあっ! リジェ! おまえまで呼ぶな、笑うなっ!」
「なんでー、かわいいよ」
「でしょ? ほーら、リジェもこう言ってるしこれはもう決まりね、ヤッくん♪」
「わー」
 ぱちぱちぱち。
「おまえら……」
「はあい、とっとといくんでしょう? 急ぐわよヤッくん」
「台詞ごとにいちいち呼ぶなぁーっ!」
 完全に遊ばれていますな。場が盛り上がってラサは非常に嬉しそうである。リジ
ェはまだ笑っている。半年分の笑いを吐き出しているのではなかろうか。
「……わかった」
 ヤージュが疲れきった声を絞り出した。ん? と二人が振り返る。
「オレの名は呼び捨てにしろっ!」
 顔を真っ赤にして叫ぶヤージュ。むきになるその様子がおかしくて、リジェはま
た吹きだした。
 それでもまだラサは物足りないらしい。心底残念そうに呟いた。
「せっかく考えたのになぁ」
「うるさいっ!」
「ちぇー」
 漫才のような二人のやりとりをリジェはにこにこと眺めていた。今までずっと二
人旅だったから、なんだか新鮮。にぎやかで、楽しくて。こういうのも、いいよね。
「さ、それじゃ改めて出発ぅー!」
 気が済んだらしく、ラサが右腕を突き上げて宣言した。追われる身という自覚が
あるのか、かなり謎である。いくら別の方向に走っていったからといっても、いい
加減騙されたことに気づいてもおかしくない。
 案の定、遠くから叫び声が聞こえてきた。
「うあっちゃあぁ〜。ちょっとのんびりしすぎたかしら?」
「そうみたいだね」
 いまいち緊迫感に欠ける会話だ。ヤージュが一人脱力している。
 追いかけてくる声は一段と大きくなっているようだった。散々わめきちらしてい
るように聞こえるのは……ヤージュに騙されたからだろう、きっと。つかまったら
うるさそうだ。
 嘘をついた張本人もそう判断したらしい。早々に走り出した。「あ、ヤージュ。こ
っちこっち!」
 ラサがすかさず先頭に立って進路を指示する。しかしその声で逆に相手に気づか
れたようだ。呼び止める声がする。
「お待ち、ラサ! 今日まで養ってやったのは誰だと思ってるんだい、この罰当た
りめ!」
「何言ってるのよ。私が稼いでるんじゃない」
 走りながらムッとしてラサが呟いた。
「おまえなら神前で踊れるかもしれないってのに、神をないがしろにするつもりか
い。おまえの親には大金を払ったんだ、逃がさないよ!」
「元は十分に取らせてあげたわ! 私は私のやりたいことをするの、約束を果たす
の!」
「ラサッ!?」
 走る勢いそのまま、右足を軸にラサはくるりと振り返った。急に立ち止まられて
リジェが慌てる。
「そうやってがめついから嫌いなのよ。もう私がここにいる理由なんてひとつもな
い。だから邪魔しないで!」
 もう追っ手の二人の姿は見えている。ラサの両手がすばやく動いた。マントの裏
に伸びた腕が再び胸の前に突き出されると、同時にポンッと弾んだ音がした。放物
線を描いて放たれた矢は、追っ手の頭上高くを目指している。
 かつんと当たったのは大きな木の実。……当たっただけだ。
「へったくそ」
 少女の目論見を理解したヤージュが足元の小石を拾って投げた。それは硬い殻を
持つ果実のつけ根にうまく当たった。狙いどおり、実は幹から落ちる。
 ひゅるるるるるるるるる……。落下地点も狙ったとおり。
 ごすぅっ!
「うっ……」
「あ」
 実は追いかけてきた女の頭に炸裂した。ぱったりと前のめりに倒れる。男のほう
は、既に体力の限界らしく、あっさりと立ち止まった。どうしようかと妻を見下ろ
している。その隙に三人は走り出す。
「……あの人、大丈夫かな?」
「石頭だから平気でしょ」
 心配そうに振り返るリジェに、憤慨した声で答えるラサ。しかし普通は頭ほどの
大きさの硬いものが屋根より高い所から降ってきたら、しかもそれが脳天に直撃す
れば、気絶どころの話ではない。よほど恨みでもたまっていたのだろうか。
 ラサは怒りを吐き出すべく全力疾走した。それでいて木々の隙間をあっちへこっ
ちへ進路を変更している。よく迷わないものだと、リジェは感心を通り越して不思
議になってしまった。見慣れれば、木の違いがわかるものなのだろうか。
 そんなことを思っているうちに、小さな広場に出た。
「ここなら大丈夫。今は私しか知らない場所だから。一休みしましょ」
「一休みよりもうここで野宿したほうがいいかもね。火はおこせないけど」
 そろそろ太陽は沈みかけている。いくら良い道案内がいても、夜は何が起こるか
わからない。それに、もう食事時だ。
 リジェの提案にヤージュも後ろから口をはさんだ。
「巻き込まれたからには話もしてもらいたいしな」
 無関係のまま終われるのならぜひともそうしたかったし、話を聞く気など皆無だ
ったのだが。少しの間とはいえ一緒にいる羽目になってしまった。そうなると何が
起こっているのかは把握しておきたい。たとえば知らずに犯罪者をかくまってまし
た、なんてオチはまっぴらだ。
 ヤージュの態度に、ラサは小さく笑った。今までの明るい笑顔ではない。困った
ような、寂しいような、かすかな笑み。
「それもそうよね。ご飯でも食べながら話しましょうか」
 焚き火をすると見つかるかも知れないので食事は簡素だった。今の季節と、ここ
が南部であることが幸いして火がなくても寒さはまったくない。暗がりの中で無発
酵パン(チャパティ)をかじりながら、ラサが話し出した。
「……まあ、踊り子としてはよくある話なんだけどね。私は家が貧しかったせいで
舞踊団に売られたの。小さい頃だから覚えてないけどね。さっきのは団長夫婦。生
活は全部この森の中。街とかに踊りに行く以外は外に出してくれないの。腹がたつ
ったらないわ」
 これまでの生活を思い出してきたらしく、口調がかなり激しくなっていた。怒り
に任せてチャパティをがぶりとかじる。
「でも私は少しの自由時間とかに結構森の中を探検したの。あ、だから案内は安心
して良いわよ。ただ森の外までは一人で出たことがないから。外で知ってるのは『踊
りの街(カンセナ)』の舞台だけ」
「……おい!」
「なに?」
「オレが聞きたいのは身の上話じゃなくて、なんで追いかけられんのかってこと
だ!」
 勢いの止まらないラサに、早くもヤージュが叫んだ。悲しい身の上話なんてモノ
には、はっきり言って興味がない。そんなもので自己を正当化しようものなら速攻
で殴ってやろう。
「あ、ごめんごめん。ようするに、ずっと閉じ込められてたから外に出たかったの。
やりたいことも出来たし、あそこにいる理由もないし」
「つまり、勝手に抜け出してきたから追いかけられていたってこと?」
 リジェが確認する。
「ま、ね。……やっぱりつき返そうとか思った?」
「そんなこと……!」
 悪戯っぽく、それでいて寂しそうな笑みを浮かべるラサ。見ているだけで辛くっ
て、何かを言いたくて。リジェが言うべき言葉も見つからぬまま声を発したとき。
「くっだらねえ」
 ヤージュが口の中に干し肉を押し込みながらそう言った。
「けど今さらあのババアのとこに行くのも面倒な上に腹が立つ。ま、勝手にすれ
ば?」
 ぱたぱたと手を振ってヤージュはごろりと背を向けて横になった。
 ラサは唐突な行動にきょとんとして彼の背中を見つめた。ヤージュはもう寝てし
まえとばかりに片手でがしがしと三つ編みをほどいている。
 くすり、とリジェが笑った。ヤージュらしい言い草だ。
「『問題ない』ってさ、ヤージュは。僕も、気にしないよ。勝手に抜け出すのはや
っぱりよくないことだけど、本人の意思を無視してお金で一生を縛りつける方が問
題ありだよ」
「……いいの?」
 ラサが、リジェの黒い瞳を覗き込んだ。優しい、力強い瞳。嬉しくなって、みる
みるうちに表情を輝かせる。抱きつかんばかりの勢いだ。
「ありがとう! じゃ、一緒にいていいのね!?」
「だってさっき約束したよ。森の外まで案内してもらうって」
「うん。まかせといて。明日、朝から歩けば昼過ぎには出られるから」
 本当に笑顔が似合う子だ。リジェもつられて笑顔になる。
「外に出たら……ラサはどうするの?」
「海が見たい。それから、あちこち見てまわりながら北へ行くつもり」
「一人で?」
 ここは既に大陸の南端に近い。大変な旅になるだろう。リジェはつい心配になっ
た。2人旅でも大変なんだから。そうしたら、ラサがおどけた声で答えるので「お
や?」と思う。
「私にぎやかなのが好きだから、一人旅なんて寂しくてやってられないわよ」
「あ、それじゃ誰かあてがあるんだ」
「あてねえ。ないこともないわよね」
「?」
 思わせぶりというか確認するようなというか。ラサのもの言いにリジェは戸惑っ
た。何が言いたいのか考えていると、やおら寝ていたはずのヤージュが上半身を起
こした。半眼で叫ぶ。
「一緒に行くのは森の外までだって言ったからな! 甘えてんじゃねーぞ!」
「なんだ、起きてたの。でも私は森の外でさよならするなんて言ってないわよ。…
…お願いっ! 一緒に行かせて。ほらほら、女の子一人じゃ危ないし」
「あ、そういうこと」
 あてって僕たちのことか。ようやくリジェが事態を理解した。その間にもヤージ
ュはラサにきつい言葉をぽんぽん投げかけていた。これ以上の面倒はごめんと全身
で訴えている。……さっきは「勝手にしろ」って言ったくせに。
「いいか、オレたちは遊びで旅してるんじゃない。でもっておまえを連れて行く理
由なんてこれっぽっちもないんだ!」
「私だって遊びじゃないわ。でもどうせなら楽しいほうが良いし、外のことよくわ
からないし、他に頼れる人いないんだもん!」
「いいんじゃない?」
 あっさり。
 ………………。
「ホントッ!?」
「くぉら、リジェッ!」
 がばっと同時に2人が振り返った。動作は同じでも表情はまったく違う。
「てめぇはまた、後先考えずに〜」
「うわわわわ、お、落ち着いてよ。だってヤージュ……」
 一緒にいてもいいというだけであんなにも喜ばれて。ひょっとしたら、ずっと寂
しかったんじゃないだろうか。それに実際問題、ろくに買い物もしたことのない少
女を見捨てていくわけにもいかないとも思う。
「『だって』じゃない! そーやっておまえはいつもいつも他人の世話ばっかり焼
きやがって」
 すごい剣幕で怒鳴られて小さくなるリジェ。一呼吸もおかずにくるだろう、更な
る攻撃に備えてちょっぴり逃げ腰だ。が、聞こえてきたのは深いため息だった。
「そーだよ、いつもいつもいつもいつも……!」
「?」
「……結局おまえが口にしたことはほとんど実現するんだ」
 いくら止めても時間と労力の無駄。
「じゃ……」
 リジェとラサが声をあげた。それに応えてヤージュはもう一度ふかーいため息を
ついた。
「いいよ。おまえが大丈夫だって言うならそうなんだろ。面倒だけど、許す」
「ありがとう、ほんっとーに嬉しい!」
 歓喜の声をあげるラサを見て、リジェもなんだか嬉しくなった。夜だというのに
妙に明るく感じる。まるで旅立ちの時のような、胸に渦巻く予感。
「いい旅になりそうだね」
 誰にむかうともなく、リジェはそう呟いた。