星祭 XREA.COM

 笹舟 川に流そうか
 今宵 願いをかなえる日

 村は朝から浮き足立っていた。普段は畑仕事に精を出す男達が広場でやぐらを組んだり、女たちは山になった野菜をご馳走に変えていたり。子供たちは村中を走り回って、その様子を幾度となく眺めている。
 夕方になれば、音合わせに精を出す囃子の男達。小ぶりのちょうちんに蝋燭を入れる少女達。
 長雨が去り、空気が熱を帯び始める季節。夏の初めの朔の日は、星が特に輝いて。夜の帳に星神達が踊るという。
 今夜は、年に一度の星祭。

「みな……!」
「巫女様、そろそろ」
 遠くに認めた幼なじみに、声をかけようとしてさえぎられた。明彦は肩の辺りまであげた手をゆるゆると下ろす。なかなか話しかけられなくなっていた。おおばばさまが亡くなられて、あの広い屋敷に彼女1人になってからだ。ただの幼なじみではいられなくなってしまった。
 白い着物に赤い帯。巫女の正装をした彼女は、この祭りの重要な人物だ。
 星神は1人につきひとつだけ願いをかなえるといわれている。今日は星祭。星神に願いが届く夜。思いを込めて折った笹舟を川に流す。舟が無事に星神の元へ届くよう、導くのが巫女の役目。
「天は広く、静かに暗く、星の瞬き以外に標(しるべ)なく……」
 川辺に一人立って、高らかに歌う。濡れたように艶やかな黒髪が風に乗る。頬に、足に、赤く印された巫女の紋様が、いっそう神秘をかきたて。
 綺麗だと思った。同時に、悲しいと思った。
 こういうとき、思い知るのだ。彼女は神の使いとして選ばれた娘なのだと。
「あきひこー」
「んあ?」
 眩しそうに目を細めていた明彦の足元が、ぐいと引っ張られた。
「ふねのつくりかた、おしえろよー」
 笹の葉を突き出してそう訴える。背は明彦の腰にようやく届くかというくらい。すりむいたらしいひじも剥き出しに、腕を伸ばしている。
「和樹(かずき)、おまえなぁ、それが人に物を頼む態度かよ」
「いいからおしえろよー」
「ったく、しょーがねえなぁ」
 明彦はしゃがんで笹の葉を受け取った。
「いいか? まずはじを折ってだな……」
 説明する明彦の手を、和樹は食い入るように見つめる。端を内側に折って、切れ込みを2つ入れる。3つに分かれたうちの右端を輪にして、左の端を中に通す。
 20も数えきらないうちに、明彦の手に、小さな緑の舟が完成する。
「ほら。やってみろ」
「おう!」
 それまで息を詰めていた和樹は大きくうなずいて笹の葉を折り始めた。今度は明彦が黙ってそれを見つめる。小さな指がたどたどしく笹の葉を舟の形に変えてゆく。
「……できた!」
 明彦のたっぷり3倍はかかっただろうか。難しそうにうなっていた和樹が、ぱっと顔をあげる。得意げに見せた掌に、いびつな舟がのっている。
「よしよし、できたじゃないか。お願い、叶うといいな」
「おう!」
 にまっと笑って、和樹はふと首をかしげた。
「あきひこはふね、ながさないのか?」
「いいんだよ、俺は」
 無意識に眉間に皺が寄る。その不機嫌そうな表情に、和樹はますます首を傾げた。明彦は肩をすくめると和樹の背中を押した。
「ほら、舟、流すんだろ」
「うん。じゃあな、あきひこ!」
 作ったばかりの笹舟を大事そうに手で包み、和樹は川辺へ駆け出した。それを迎える巫女の声が遠く聞こえる。明彦は、知らず明りの輪から外れるように歩き出した。
 願い事がないわけじゃない。でも、そのために巫女の、みなぎの力を借りるのは意味がない。
 今は、そばにいるほど彼女を遠くに感じるようで。星明りを頼りにどこへともなく足を進める。人々の歓声が遠くなると、風にそよぐこずえの音が耳についた。
 ふと見上げれば、裏の小山が黒く夜空に浮かび上がる。去年の秋を思い出す。みなぎが屋敷を抜け出した日。あの山には、神様が住んでいる。

『いっしょに、神様に会いに行きましょう?』

 口元に笑みがこぼれる。
 そう。この秘密は2人だけのもの。2人だけの約束。
 ときに遠くに感じても。一緒に遊んだ日々は嘘じゃない。悪戯っぽく笑ったあの顔は嘘じゃない。
「そもそも神々しいなんて言ったって」
 愉快そうに口に出す。その『神様』があれでは。
 変わらない、きっと。ただの人だろうと、神だろうと、巫女だろうと。自分が勝手に遠くに感じていただけで。
 あの時、みなぎは自分から外へ出ることを選んだ。本当は、自分だってそうだ。きっかけを待っているのは柄じゃない。もっと早く、こうすればよかった。
 悪戯小僧の笑みで、明彦はくるりと広場を振り返った。

「今夜はふもとが賑やかですね」
「明るいね。賑やかね」
「あのお嬢さんや明彦さんはあそこにいるんですねぇ」
「最近、来てくれないのね。淋しいね」
 ひくひくと鼻を動かして兎やりすが村を見下ろす。
「ああ、今夜は星のお祭だそうだよ」
 不思議な色の髪をした少年が、穏やかに笑った。
「いつかみなぎが言っていた。だからしばらく来れないと」
「お祭ですか?」
「いいのね。楽しいね」
「……わたしたちも、やろうか?」
 人差し指を立てて、提案する。
「本当ですか、神様!」
「やるのね。ご馳走ね」
「ああ、ご馳走だ。皆を呼んでおいで」
 りすが嬉しそうに他の動物達を探しに駆け出した。あっという間にねずみにきつねにくままでが、思い思いの食べ物を持ってやってくる。
「神様、神様。お祭って他に何をするんですか?」
「星のお祭は、願い事を笹の舟にのせて川に流すんだ」
「願い事!」
 兎はぴょんと大きく跳ねた。
「お嬢さんや明彦さんに会いたいですねぇ」
「皆でご馳走食べたいね。笹舟、川に流すのね」
「皆で笹舟つくるかい」
 細い目をいっそう細くしてきつねが声をあげた。
 動物達の様子を穏やかに眺めていた山の神は、ふっと嬉しそうに顔を上げた。優しく見守るような微笑が、純粋な喜びのそれへと変わる。
「ああ、みんな」
 遠くを見つめたまま口を開く。
「そのお願いは、舟にしなくても大丈夫だよ」
 星明りの中、だんだん近づいてくる二つの影が、木々の向こうに見えていた。

 笹舟 川に流そうか
 今宵 願いをかなえる日
 星神 空に瞬いて
 一歩の勇気を照らすから